2007年05月30日

北島橋



今度も橋の写真
この橋は紀ノ川下流の北島橋。最近、新しく塗装をしているのを見かけたのでカメラに収めた。大台ケ原を源として 紀i伊水道に注ぐ紀ノ川にあるこの橋は相当古い。      私の記憶では、この橋はいつごろ建造したのか知らないが、紀ノ川河口にかかる橋の中では一番古いものでなかろうか。当初はたぶん木造であったろうが、いつごろ今の鉄製に架け替えられたのか。ともかく約70年前に(小学6年の頃)に、阪神沖で行われ海軍の観艦式があり当時の天皇の行幸があり、この橋の上に整列させられて日の丸の小旗を振って歓迎に動員されたような記憶がある。 もちろん私たちは学校からこの橋まで片道4キロの道を往復したのを覚えているが、たぶんその頃に鉄製になったのではと思うが、記憶違いかな。   


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2007年05月22日

父母状の碑



つつじの頃、和歌山城に行ったところv近くの岡公園の角に「父母状の碑」をみつけた。石碑によると約10年前に新しくつくりかえられた上現位置に移設たようだ。
以前は、もう少し南の演武館の筋向いにあったと思う。
 昔、私たちが近くの中学校に行っていた頃、ユニークな歴史の先生が、当時の古い碑の前まで私たちをつれて行き、碑文に書かれている内容を説明したのを今も覚えている。
 ご存知でない方のために、附記しておこう。
「父母に孝行に法度を守り譲り(へりくだり)奢らずして、面々家職を勤(つとめ)、正直を本とすること・・・・」で始まる碑文は初代紀州藩主頼宣公が万治3年(1660)正月に自ら書いて藩民に配布して、藩是としたもの(書は韓国の儒教学者李梅魏)である世のこと。配布の動機は、当時熊野で起こった父子の殺人事件で当事者の子供が改心しないことに心を痛め、政道の不徳として父母状を書いたといわれている。
 くどい解説かな思うが、当時としては当たり前のことだったが、今の教育に欠けている何かがあるようだ。  


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2007年05月18日

不老橋


 
和歌祭の行列が通る途中の玉津島神社前にある橋は「不老橋」とよばれている。
150年ほど前に建造されたという石組みの優雅なアーチ橋は、写真のように水面と映えて美しい。和歌まつりの帰途たまたま小さな漁船が下を通り、遠くに名草山が見えるというめったにないシャッターチャンスに出会い、この画像となった次第。
何年か前に、この橋を壊して自動車用の橋と架け替えするとの計画があったが、反対運動のおかげで保存され、この下流に自動車用の「あしべ橋」がつくられたおかげで残された。   


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2007年05月17日

和歌祭を見に行く



30数年ぶりに紀州東照宮の和歌祭を見に行ってきた。昔は日本三大祭といわれた祭の規模は大変小さくなり、時代の変化の激しさを痛感。
 ただ、規模が縮小されたとはいえ江戸時代の元和18年(1622)から始まったという祭だけあって、その渡御行列には他のお渡り行事にはない風格が感じられた。      多くの日本文化が失われつつある中ではあるが、よき伝統行事として地元の協力と熱意で将来に伝承していきたいもの。百聞は一見にしかず。毎年5月17日(徳川家康の命日)に近い休日に行われるので是非ご覧あれ。
 写真は、通称「百面」といわれる鬼面集団。幼児がこの面に泣かされると健康に育つといわれる行列のひとつ。
 ほかにも、雑賀踊り,餅搗き踊りなどをはじめ武者行列など多数。  


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2007年05月09日

雑賀孫市の木像



今年4月1日、和歌山市で開催された第3回孫市まつりに建てられた孫市の像です。
この後、雑賀衆に扮した武士の鉄砲の発射があり、迫力点でしたよ。  


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