2007年06月28日

ふたりの巨人 (その2)



巨人・力士「鬼勝」
 
和歌山気象台の近くにある「正住寺」(東長町2丁目)という立派なお寺にユニークなお墓がある。                 
 
 本堂の左手の墓石群の中にあるちょっと変わった形のこの墓は、初代紀州藩主頼宣公のお抱え力士であった「蓮井象之助鬼勝」の等身大に造られたものとのことである
 
 墓銘碑によると鬼勝の身長は7尺4寸5分(2m23)であったというから、ものすごい巨人であったろう。当時の日本人の平均身長は5尺そこそこ(1m60cm余)であったろうから,想像に絶する大男であったのではと思う。ちなみに、現役力士で最高身長者は琴欧州(2m03cm)である。
 ( この墓は、先の戦災で傷んでいたものを昭和60年11月に再建したものという。)

 また、向かって墓石の左側に 「 ついの世は 土山櫛を相撲取  浩徳 」 との書かれた碑がたてられている。  続きを読む


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2007年06月22日

ふたりの巨人 (その1)



南方熊楠生誕地碑文(全文)
紀州和歌山が生んだ巨人・南方熊楠は、慶応3年(1867)4月15日、ここ橋丁で誕生した。5年後南隣りの寄合町に移転、この周辺で少年時代を過ごす。青年時代にアメリカ、イギリスで独学し、帰国後は田辺に居住、在野で学問一筋の生涯を送り、昭和16年(1941)に死去した。彼の研究は博物学、宗教学、風俗学など多くの領域にわたるが、生物学、特にキノコや粘菌などの隠花植物の世界的な学者であり、また日本の民俗学創設において重要な役割を果たした。他方、環境保護に先駆的に取り組み、近代日本の独創的な思想家として高い評価を受けている。


世界的にも有名な南方熊楠は、幼少の頃から人並みはずれた記憶力をもっていたらしい。 小学校に上がる頃には、すでにかなりの漢字も知っていたといわれ、また4才ぐらいの頃に、隣家からもらった植物の本をもらい、喜んで大切にしたというなどの逸話も残されている。

 巨人・南方熊楠は生まれつきの優れた才能に富み、小学校時代からも目立ったらしく、父弥兵衛はその才能をのばしたいと考え、当時の商人(金物商)の家としては珍しく、開設したばかりの和歌山中学校に入学させたという。

明治16年(1983)3月に中学を卒業して上京、東京の大学予備門(後の旧制一高)を受験して合格したものの、学校の授業には興味を覚えず、鎌倉や日光などで植物、貝類などの標本を採集していたことのほうが多かったらしい。このようにあまり学校の勉学に精をださなっかため年末試験に失敗して帰郷し、父に懇願して渡米した。
 その後、アメリカ、イギリスで博物館などにおいて独学で考古学、人類学などの研究をし、地元の科学誌や随筆紙などに論文などを寄稿し、徐々にその名を知られるようになってきます。

 明治33年(1900)帰国し、田辺を永住の地とし亡くなるまでの37年間粘菌・菌類の調査などを行った。また、環境保護運動などにも精力を注ぐなどし、生涯市井の大学者として研究生活を送った。
 
 和歌山市では平成6年生誕地の橋丁に胸像をたてて顕彰している。
このほか白浜町に南方熊楠記念館(昭和40年開館)、田辺市に南方熊楠顕彰館(平成18年5月開館)があり、それぞれ生前の文書、遺品、蔵書、資料などの保存を行っている。  


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2007年06月17日

寄合橋と藩校跡

  
 
寄合橋は南海和歌市駅から南へ徒歩約5分、内川にかかる鉄筋コンクリート橋の寄合橋は、たもとには灯火の親柱を備え、きれいなシルエットを持っている。

この橋は昭和16年頃に木製から架け替えられ、昭和20年の大空襲にも耐えて焼夷弾の痕跡を持ったままに残っている古い橋のひとつである。
このあたりの一帯は天保時代から明治初年まで各種物産の荷揚げ場として賑わい、付近は裕福な商人の町であったそうである。
 
私は中学時代に毎年2月頃になると、寒稽古のときには早朝ため市電がないのでこの橋を渡って、人気のない通りを剣道具を肩に学校に通ったことが懐かしい思い出として今も残っている。  続きを読む


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2007年06月14日

新しい劇場



 5月末に「紀の国ぶらくり劇場」を覗いてみた。平日の午後なのに100余の客席はほぼ満席。常連の演劇ファンが多いようで、中にはペンライトを持って立ちあがって声援を送る人も。 劇あり、歌謡ショウあり結構たのしめる。
 この大衆劇場は、閉鎖された東映の地下を改造して造られたもの。入り口は小さくめだたないが、中には弁当やファングッズなどの売店もあり、バス停のまん前で交通も便利。町おこしのためにも健闘を願いたい。  


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2007年06月08日

ただいま、解体中

 北島橋の上流に架設された紀の国大橋で不要になった古い橋。「一銭橋」の愛称で知られたこの橋もクルマ社会の到来でその役目をおえて、解体中である。
 通勤、通学にお世話になった人々には、思い出の橋であろう。木造時代には紀ノ川の増水で何度となく流失した歴史を持ったこの橋。今度は作り変えられることもない。
 いま、画像のように3分の2位をのこして撤去を待っている。新しい橋とのコントラストが消えるのは近いことだろう。  


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2007年06月01日

姫人参



こんな人参を見たことがありますか
「姫人参」といわれる、もっぱら阪神間の市場にしゅっかされています。主に料亭用のユマモノにつかわれるもので、スーパーや一般食料品店にはでません。太さはせいぜい親指程度のもが標準で、太すぎても細くても駄目、選別して箱詰めするが、根気にいる仕事です。大量消費される食品でもないのうえ、需要もだんだんとすくなくなってきているようです。現在の主生産地は和歌山市西部の西脇地区です。  


Posted by jiiyasan at 08:01Comments(7)