2007年07月06日

ふたつの像と碑


 
 二宮金次郎像

 私たちの子供の頃には必ずといってもよいほど小学校にあった「尊徳さん」の愛称で親しまれてきた二宮金次郎さんの像を何十年ぶりかでみかけた。薪を背負って歩きながら読書をする姿は、あまりにも有名であったが、戦後は見かけなくなって久しい。

 私が見かけたこの像は、材木橋(和歌山図書館東側の道路にかかっている)の傍の「水天宮」さんにある。約1メートル足らずのちっちゃな石製の像で、台座には昭和14年卒業記念と寄贈者名があるからどこかの小学校の校庭にあったものを移設したもののようだ。

 「二宮金次郎」像は、銅製のものは戦時中の金属供出で、石製のものは戦災などでほとんど消失したから市内では見かけなくなったのはわかるが、郊外の学校でも見たことがなかった。         
 戦後なって古くなった校舎を建て替えたときに撤去されたままになったのではといわれ、また子供がこんな真似をしたら交通事故にあうから危ないという意見もありそのままになったと聞く。

 また、幼少にして一家離散し、働きながら学んだ金次郎が農民から幕臣となり、破産寸前の藩の財政再建を次々と成功させたことでも知られ、たくさんの逸話が残っている。                   最近、教育の見直し論議が盛んになり、金次郎に関する書籍なども多くみられるようだ。


 忠魂碑

 忠魂碑は,国のために勇敢に戦い戦死したり、また戦病死した人々の魂を祭った碑で,招魂碑などとも言われ、学校や役場などに立てられていたものである。私の小学校でも関係者が寄って毎年招魂祭という神事が行われていたようにおもう。

 戦後は護国神社にだけ建っていると聞いていたが、最近になって偶然近くの神社の境内にあるのを見つけた。碑面には昭和13年4月A海軍大将書,△△村との刻印があり、前掲の尊徳碑と同時期に造られたもののようだがどこに立てられていたものなのか。 

戦後、軍国思想の象徴ということで、奉安殿などと一緒に占領軍からの撤去指令が出され、当時全国に3000以上はあったいわれた忠魂碑はどこかに埋められたと聞いていた。
 その後、占領が終わった後在郷軍人会や遺族会等が中心となり掘り起こされたものもあると聞いていたことがあるがついぞ見かけなかった。 今頃になるまで、 こんな身近なところに建っていたのにぜんぜん気がつかなかったとは迂闊だった。

  


Posted by jiiyasan at 12:59Comments(4)