2007年08月10日

太田城の水攻め(2)



小山塚
 太田城が秀吉の大軍によって水攻めにあい、太田党は勇敢に戦ったものの、1ヶ月余の抗戦の末落城することとなる。この際、女、子供など多数の人を救うため、城内で自刃した太田左近ら武将の首が葬られた首塚で、現在、「來迎寺」の東北角にある。 
 
 この小山塚は、昭和20年7月、市内太田538に建立されたが、同60年の付近一帯の区画整理事業の際、、「太田城史跡顕彰保存会」がここに移設したもので現在大切に保存されている。




惣光寺(毘沙門天)
 
 太田城跡の來迎寺から程近い場所(田中口駅付近)にある「惣光寺」に、「毘沙門天」が祀られている。この寺は、平安時代前期に空海が現地近くを訪れた際に,霊夢を見て付近の林に1寸8分の黄金の毘沙門天像を得たので、自ら木造の毘沙門天を刻みその体内に仏として収めて安置したといわれている。

 その後 天正年間(1573頃)に雑賀一揆との戦火の際に、惣光寺が灰燼に帰したが、安置されていた「毘沙門天」が太田城に逃れて焼失を免れた。その後太田城の守護神として崇拝の的となっていたが、太田城が滅亡した際にこの寺に移されて今に至るという。

 現在、同寺では太田城の水攻めで命を落とした兵士たちの供養を毎年4月に行っているという。




大立寺の山門
 太田城跡から西約1キロにある「大立寺」(橋向丁)にある山門は、かつて太田城の東大門であったといわれてている。(和歌山市指定文化財)
 
 高さ5、8mあり材質は欅(けやき)と栂(つが)で造られた豪壮な山門で、太田城が落城したのち、この大門のみが市内吹屋町の「功徳寺」に移され、さらに第2次大戦後に大立寺の山門として移築されたものである。
                                       (和歌山市指定文化財)

 

   


Posted by jiiyasan at 11:23Comments(2)