2007年08月18日

リタイヤーしました



チンチン電車と蒸気機関車
 私たちは、長い間市民の足として活躍してきましたが、社会の変化や科学の進歩等で勤めを終えて、現在は和歌山城の近くの岡公園で静かに余生を送っています。

チンチン電車(左
 和歌山市内を走っていた路面電車が廃止されたのは、昭和46年4月(1971)でした。
車掌さんが後部の昇降口にブラ下がっているロープを引っ張って運転手に発車の合図を送った時、運転席の鐘が「チンチン」と鳴ったことから市電の呼び名となったもの。

私もこの「チンチン電車」で通学し、また通勤や買い物などに長年利用させてもらいましたが、、自動車社会の到来で邪魔者扱いをされて、主役の座をバスに譲りはや36年が経ちました。

 和歌山市内で市電が走り始めたのは明治42年(1909)であったとのこと。この電車が廃線になった当時は、和歌山市駅・和歌山駅・新和歌の浦と海南駅でしたが、バスが走るようになってから市内の景観も随分変わりました。
 
 いま、和歌山に市電が走っていたことすら知らない世代が多くなり、この「ンチン電車」のほかに市バス(和歌山バス)の停留所のひとつに「車庫前」という名前が残っているだけになりました。


 蒸気機関車C57118号(右)
 この蒸気機関車(くまの号)は、かつて紀勢線(当時は紀勢西線)や和歌山線を走っていましたが、昭和47年3月(1972)にヂーゼル機関車と交代しました。
 現在は、全線が電化されて旅行や通勤が快適にできるようになりましたね。

 私はかつてこの蒸気機関車の時代に数年間通勤に利用させてもらいましたが、冬場はともかく夏には冷房などの設備はなく、窓を開けておくと煤煙が飛び込み大変でした。トンネルに入ると熱くとも窓は閉めておかないと大変でしたね。時には汗まみれの顔が真っ黒になり、下車してから同僚がお互いの顔を見合わせ笑いあったものでした。
 
 案内版によると、この機関車は,昭和14年の国産車で運転時の自重が114トン余りで最高速度110kmで走ったとあり、また日本各地の機関区を走り周り、この岡公園にくるまでの走行距離は256万キロ(地球の赤道上を60回以上に相当)におよんだという。                        



   


Posted by jiiyasan at 21:30Comments(2)