2007年12月23日

偉人「畔田翠山」のこと

 

紀州の博物学者「畔田翠山」 
 
 江戸後期、紀州が生んだ博物学者、畔田翠山(くろだ・すいざん)(1792~1659)の墓とその顕彰碑が大泉寺(吹上5丁目)にあります。

 翠山は寛政4年(1792)和歌山に生まれ、薬草の研究家として知られ、10代藩主治宝公から藩経営の薬草園の管理を命ぜられた。 また、海に囲まれた紀州に生まれた翠山の研究は、植物のみならず水産動物にも注目し、当初の「本草学」(薬用を中心とした植物学)の域から博物学の領域に達したものと高く評価れている。

 安政6年(1633)6月熊野山中で薬草採集の途中、本宮で客死(68歳)。墓は本宮町の竹之坊墓地内にあるり県指定の史跡に指定されているとのことです。
 
 大泉寺にある翠山の墓は、遺髪が葬られているということで、昭和3年昭和大礼に際し生前の業績により正五位が追贈され際に、翌年顕彰のため「畔田先生碑」が建立されたもので、いずれも本堂前に祀られている。



 曹洞宗「大泉寺

 慶長5年(1600)浅野幸長(あさの・よしなが)が甲斐国から紀伊国主に移封された際、浅野家菩提寺として建立した寺である。
浅野家は、紀州が元和5年(1619)徳川家の親藩となり徳川頼宣公が藩主になったことに伴い芸州(広島)に転封されたが、大泉寺は今も浅野家菩提寺となっている。

 (翆山の業績)翆山の研究は実証的で、医療や薬から動植物や鉱物などにひろがり、紀州の山野は勿論、北は越後、越中、東は甲斐、信濃、西は長門、周防にいたるまでの広範囲にわたり深山幽谷を歩き、薬草の採集や動物についても精査し、著書も数多く残し、わが国博物学会の一流学者の中に数えられているとのこと。

   


Posted by jiiyasan at 17:27Comments(1)