2008年03月17日

八魂歌碑

  
あゝ、明光号
 昭和15年3月16日、春まだ浅い和歌浦湾は、朝から小雪まじりの強風が吹き荒れていた。この日午前9時半ごろ和歌山中学校端艇員8名が春季練習開始のため、片男波の艇庫からボート「明光号」を紀ノ川へ向けて回漕中、この沖合い2km付近の海上で遭難し、8名全員が死亡した。
 この碑は、この悲しい出来事をいたみ、若い8人の霊を慰めるために、翌年2月、関係者によって建てられたものである。 
             (説明文より転記)

       自がわざを 磨けとひびく 浦波に
             籠もりて八つの 魂眠るなる

 
この碑に刻まれている歌は、恩師の有本武夫先生の作で、また薗田秀之助先生の書であります。また、題字は和歌山中学校出身の駐米特命全権大使(日米開戦当時)の 書である。

 この碑は、「八魂歌碑」と名づけられ、現在、万葉館の南に和歌浦湾に向けて建てられています。



 
 学期末試験を終えた8名のボート部員は、夏の琵琶湖における全国大会を目指して、練習に不便な艇庫より早く紀ノ川へ回漕したいとの熱望にかられ、波たち騒ぐ和歌浦湾に愛艇「明光号」に、紀ノ川繋留に必要な万端の準備を整えて出発した。
 午前9時には、西風がやや強く海上には白い波の穂が見え始めてはいたものの、平生の経験よりすれば乗り切れるとの大きな自信があり、いささかの危惧の念ももたず出航したといわれる。(遭難記念号「明光」より)

 和歌浦湾の景観は、随分変わってしまいましたが、「八魂歌碑」には今も訪れる人が多く、香華の絶えることはありません。また、8名のうち3年生5名もの同級生を失った私は、満67年経った今でもあのときのことはっきり覚えています。  


Posted by jiiyasan at 10:41Comments(10)