2008年03月23日

岡公園

 岡公園(天妃山) (てんぴざん)
和歌山城の南東部にある岡公園には、多くの記念碑や頌徳費等が建立されています。


日清戦争記念碑(左)
山頂付近に三角錐をした「日清戦争記念碑」があります。明治27~28年(1684~95)の日本と清国との間に行われた戦争の記念碑です。

 四役戦亡記念碑(右)
 「四役」とは明治7年から同10年(1874~1877)の間に起こった佐賀の乱、台湾出兵、熊本神風連の乱、西南戦争のことです。
 これら戦で戦死した和歌山県出身の兵士は491名にのぼったとのこと。この碑は、明治12年(1879)に旧藩主徳川茂承らの発起により建てられとのことです。




 長屋喜弥太顕彰碑(左)
   長屋喜弥太(1836~1897)は、天保9年(1836)紀伊藩家臣の家に生まれ、長じて御親兵となり、天誅組、長州征伐などに活躍。 市制施行に伴い初代和歌山市長(明治22~30年)に就任。 
   
  農学博士 高橋克己頌徳費(右)
   明治25年(1892)和歌山市木ノ本に生まれた。大正11年(1922)世界で始めてビタミンAを鱈の肝油から分離抽出することに成功し、大正13年桜井賞、帝国学士院賞を、同14年農学博士の学位が贈られれましたが、その賞金は研究を志す後輩のため母校(和歌山中学校)に寄付されました。この功績をたたえ、昭和44年に和中桐蔭同窓会がこの頌徳碑を建立した。




 公園内には、御作事所(和歌山城内の建物を普請するための作業所)跡や、百間長屋(その職人たちが居住した長屋)跡を示す標識がある。
 公園内には、陸奥宗光の立像のほか、和歌山城築城の際に石垣用の石材を切り出した跡地などが残されています。





  和歌山城南東部は古くから「岡山」と呼ばれていました。また、この山頂に「弁財天社」が祀られていたことことから、弁財天山、または「天妃山」と呼ばれていました。
  なお、この山頂から和歌山城郭の一部が展望できたので、登ることが禁じられていましたが、明治23年(1894)に「岡公園」として公開されました。  


Posted by jiiyasan at 16:41Comments(7)