2008年05月30日

和歌山ブルース

 
 和歌山ブルース

  逢いたい 見たい すがりたい 
   そんな気持ちに させるのは
   ぶらくり丁の 恋あかり    
    真田堀なら ネオン川
     和歌山 泣きたい ああ やるせない

 
 
今から40年前(昭和43年)御当地ソングの」「和歌山ブルース」が発表され、歌手の古都清乃さんによって歌われ大ヒットしました。
 この記念のため、平成4年5月に雑賀町大門川にかかる雑賀橋のたもとにレコード盤を模した高さ1.8mの記念碑が建立されました。この碑の周囲1m付近に近づく「和歌山ブルース」のメロディーが流れてきます。

回顧】 
 この当時を回顧すると、当時「東和歌山」と「国鉄和歌山駅」と呼ばれていた駅名が、それぞれ「和歌山駅」と「紀和駅」にかわり、住友金属では茨城県鹿島に新工場を新設しました。
主な出来事
 ・東京府中で「3億円強奪事件」が発生
 ・十勝沖地震発生M7.9 
 ・東大紛争・安田講堂を占拠  など 


 

 現在の「本町通り」
40年前には、この通りを軌道電車(市電)が走っていました。クルマ社会の到来で昭和46年に撤去されました。




 「築地通り」と「真田堀川」など
 歌にあるブラクリ丁や真田堀周辺は、かつての賑わいが失われ寂しい限りですが、女性の心情を切なく歌った「和歌山ブルース」は、広く歌い継がれています、この歌のヒットした一因は、和歌山から鹿島などに転勤した住金社員などが、かつての勤務地の和歌山を想い出して歌ったり、有線にリクエストしたことなどで大ヒットしたといわれています。
  


  


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2008年05月24日

役行者堂(加太)

 

 【山岳信仰と役行者】
 古来からわが国では山々には神霊が宿ると信仰されてきました。
そして、奈良時代には日本独特の宗教として「修験道」が成立したとされ、この開祖は「役行者」(役小角(えんのこずめ)とも呼ばれる)といわれている。
 
この修験道を信奉し、険しい山々で修験道の実践する人を一般に「修験者」または「山伏」と呼んでいます。近畿では大峰山(奈良)が霊場として著名で一般人も信仰の現れとして登山(女人禁制)がおこなわれています。

 現在和歌山市加太には「役行者堂」という古いお堂があり、かつて役行者が住み、修行を積んだとがあると伝えられている。
 
 


 
「役行者堂」は加太淡島神社の近くの山の上にあり、加太街道にある石碑の示す険しい石段を登ったところにあります。
 
 かつて「役行者」が、「友ヶ島」を行場として開いたときに、加太春日神社(例大祭のエビまつりで知られる)に勧請してご祭神を守護神にされたとの関係で、現在でも毎年4月20日ごろ(新暦)京都より聖護院門跡が大勢の山伏僧とともに正式参拝されています。
 現在、参拝のときに「山伏僧」たちがこのお堂に宿泊し修行するとのことである。





 「観音堂」と「紀伊水道の遠景
 役行者堂境内から加太湾や友ケ島を見渡すばらしい景観を目の前にすることができます。
 また、行者堂に登る途中に「観音堂」があります。毎年、初午祭には付近の人で厄年にあたる人達が観音様に餅を供えた後、餅まきをして厄払いをする習わしがあるそうです。
  


Posted by jiiyasan at 13:57Comments(12)

2008年05月17日

えび祭り

 
5月17日(土)和歌山市加太春日神社の渡御行列が、4年ぶりに復活し好天に恵まれ盛大に斉行されました。(由緒等については、本年2月22日付けの記事を参照してください)
 
  えび祭り(加太春日神社例大祭) 
 紀淡海峡に面した加太は、往時から漁業が盛んな土地で、航海安全と大漁を祈願して氏神様の春日大社の例大祭は毎年旧暦4月20日(現在では5月20日)に行われ、渡御祭は5月第3土曜日に斉行されています。

 加太は特に「伊勢エビ」の水揚げが盛んにおこなわれ、この感謝のために「春日大社」の例大祭には「エビ」をお供えるするとともに各戸でも神棚に「エビ」をお供えし住民あげて盛大にお祭を行ってきました。
 
 渡御祭は神事のあと天狗の先導で行列が組まれ、約1トンもあると言われる大御輿が50~60人の若者に担がれ、「千歳楽」「万歳楽」の掛声も勇ましく空高く上げながら町内を回ります。



 
  先導の宝太鼓と天狗。




 加太音頭と子供みこし




 獅子舞と長刀ぶり



  


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2008年05月11日

堀詰橋


 史跡「堀詰橋跡」
 和歌山市築地通りの市堀川と和歌川の出合に架かる「堀詰橋」の袂に史跡を示す碑が建つています。
現在の堀詰橋は、近代的な美しいたたずまいを持った橋となり、橋の中央にバス停などがありますが、かつてこのあたりは紀州藩の諸大名の屋敷群がありました。



 
 「三方出合」
 堀詰橋の架けられている市堀川は、東側を走る和歌川と字形に結ばれており、昔から「三方出合」と呼ばれて水運の要地とされてきました。(写真の水路は鍛冶橋から望見した「三方出合」です。左側の水路は市堀川で、すぐのところに堀詰橋があります)
 市堀川(北外堀)は、和歌山城の築城の際、防備を固めるために造られたもので、あまりにも大きな工事であったため当時の江戸幕府から謀反を企てているのではと疑われ、このため掘削中であった南外堀(新堀川)の工事を中止に追い込まれたとのことで、「堀止」の地名が残っています。

 



  紀州藩表千家屋敷跡碑 
 茶道流派のひとつである「表千家」は、千利休を祖とする本家で、裏千家、武者小路千家とともに「三千家」として知られている。表千家四代江岑宗左は、寛永19年(1642)茶の湯に造詣の深かった初代紀州藩主・徳川頼宣に招かれ紀州徳川家の茶頭として仕えることとなり、以後明治にいたるまで歴代家元は紀州家に仕えた。
 その間「表千家」は中級武家並みの二百石の禄と堀詰橋付近に屋敷を与えられるなどの特別の待遇をうけていたのです。

  


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2008年05月05日

和歌山「森林公園」

 ちびっ子広場のモニュメント
  

 
 
    恐 竜
   
  白亜紀(約1億数千年前)に絶滅したと考

  えられている「恐竜」のモニュメントが
 
  「チビッコ広場」にあります。

  




 和歌山「森林公園」は、和歌山市西庄から加太深山に至る約4㌔の間の山林の自然条件を生かし、四季折々の花や樹木を観賞し、また森林浴などを楽しむことができる公園を目指して、昭和61年に造られた施設で、行楽シーズンになるとハイキングを楽しむ方が増えてきます。
 公園内の恐竜広場は、開園当時のような人気がなくなったようですが、休日等には家族づれなどのグループが時々訪れています。 



 
 「森林公園」に走る川沿いには、駐車場や休憩設備等が設けられ、また、途中に和泉山脈の西端に位置する「四国山」「高森山」(いずれも標高300m未満)への遊歩道入口を示す案内板などが設置されています。700-800mほどの奥に広場や展望台などがあるそうです。



 



 土取り跡地 
 恐竜広場の南側には、関西空港の土取り跡地があります。2回にわたる土砂とりで広大な跡地か残されており、現在は「かごめ食品」の経営する「加太菜園」があり、わが国でも最大の規模のビニールホウスでトマトの水耕栽培をしています。
 
 森林公園の開園時には県立西高校前と加太深山遊園からの2つの入り口で結ばれていましたが、現在では市内方面からは県道の「つつじが丘団地」入口の次の信号の「加太菜園入り口」の標示にしたがい右折して、土取り跡地を横切る広い道を行くと「チビッコ広場」へ行くことができるようになりけました。






  


Posted by jiiyasan at 22:15Comments(8)