2008年06月25日
海善寺
西山浄土宗「海善寺」(和歌山市道場町)
【開 基】明応5年(1496)
【中興開山】昭和55年(1980)
昭和20年7月の戦災により、すべて焼失した海善寺は、再建されました。
本堂の傍らには鐘楼とともに焼失した梵鐘(寛永12年鋳造)が安置されている。
紀州初代藩主の徳川頼信に認められ侍講として登用された儒学者「李梅渓父子墓所」が海善寺の東墓地にあります。墓碑には「朝鮮国李氏真栄之墓」の記載があり、一族の墓が数基あります。
また、同寺本堂前には、「父母状」を記した「李梅渓父子顕彰碑」が設置されています。
【父母状のこと】
紀伊初代藩主鯛宣公が藩内の不祥事件に心を痛めて作った草案を元に、儒学者「李梅渓」が作成し寛文10年(1670)に紀州藩内に布告したといわれる「父母状」は、その後の紀州藩の教育理念といわれ、江戸時代における紀州藩の民衆生活の規範となったもので、その後代官等が折りある毎に繰り返し人々に読み聞かせたという。(父母状の碑は岡公園にもあります。)
一、父母に孝行のこと。
二、法度を守ること
三、謙(へりくだ)り、不奢事(おごらざること)
四、面々の家職を勤め、正業を本とすること
海善寺山門
海善寺は「水門筋」に面し、幼稚園も併設されており、道路を隔てて「東墓地」があります。江戸時代には、この地一帯は寺院用地に指定されて広大な寺院が多ったという。
直木賞作家「黒岩重吾」氏の墓
昭和36年(1961)に「背徳のメス」で「直木賞」を受賞、その後独自の歴史観をもとに数々の著書を残し、また直木賞選考委員なども勤めた黒岩重吾氏(2003年3月死去)が海善寺の「黒岩家の墓」に葬られています。
氏の自宅は西宮市であったが、父方の祖父が和歌山で廻船問屋を営んでおられたということです。
国学者「加納諸平墓」
幕末の国学者で、紀州藩国学所総裁を勤め、「紀伊続風土記」「紀伊国名所絵図」などの編者として、また、歌人としても有名であった「加納諸平墓」が海善寺墓地にあります。安政4年(1857)没。
Posted by jiiyasan at
09:31
│Comments(3)
2008年06月18日
紫陽花
梅雨から夏に日本各地で咲く紫陽花は、開花している間に色が変化してゆくので、「七変化」と呼ばれています。
わが家の庭の梅雨入り前(5月28日)から6月2日と12日、16日と、同じアジサイ撮影してみました。
しとしとと降る梅雨の庭に咲く紫陽花は、まさにわが国の梅雨の風景そのものですよね。
紫陽花の原産地は日本ということで、欧米に広まるにつれて品種も多くなり、現在50種以上もあるとのこと。写真は「ガクアジサイ」「タマアジサイ」「カシワバアジサイ」などの近隣の庭等に咲いている一部です。
Posted by jiiyasan at
09:04
│Comments(4)
2008年06月12日
弥勒菩薩坐像
和歌山市の深山地区を通る旧紀州街道脇に「弥勒菩薩坐像」を祭る小さな祠があります。
【弥勒菩薩】とは、簡単に言えば、仏教の「始祖」の釈迦の救いに漏れた衆生をことごとく済度すると云われている
菩薩のことです。
この祠の傍に傍に建てられている説明書によると
「この像は鎌倉後期時代の修験者(山伏修行者)が修行のため大峰入りするにあたり、修験者の無病息災を祈願して刻んだ菩薩像と見られ、併せてこの付近の通行人にも無病息災を祈願する目的で道路の辻に建立されていたものらしいとのこと。
この像は、その後の天変地異のため、この地に流れる「あぶり川」に埋没しいたのを、土地の住民で寒行中の人が霊感を受けて発掘したものといわれ、昭和17年から「辻地蔵」として祀られてきたという。
この祠は、旧紀州街道から「休暇村紀州」に行く登り口にありjます。
毎年4月24日に信者がお祭をしているとのことですが、昭和55年の祭礼の日に昼過ぎから急に天候が悪くなったため、参列者達がいつもより早く帰ったあとに、お社は勿論のこと、車も全壊するという交通事故が起きたが、ご本尊だけは毅然とお座りになり、また、交通事故を起こした2人の若者にも何らの被害も起らなっかたという。 本当に不思議な出来事であったといわれ、このときはじめてこの像は、「弥勒菩薩座像」であるとが判明し、その後も信仰を集めているという。
「円光大師遺跡碑」
森林公園入り口(深山側)に「円光大師遺跡」の碑(明和4年巡拝記念)と読み取れる古い石碑があります。
加太方面から「大川トンネル」を大阪方面にぬけると、法然上人(円光大師)が開祖とされる報恩講寺(通称大川寺)という由緒ある寺があります。
この地域は昔から宗教に関する遺跡等が多いところでもある。
(大川寺の記事は近く投稿の予定です。)
Posted by jiiyasan at
10:05
│Comments(6)
2008年06月05日
袖摺松(神明神社)
神明神社
【所在地】和歌山市堀止西2丁目4
【ご祭神】(第一殿)天照皇大神
(第二殿)豊受皇大神
註:現在第一殿天照皇大神の御霊代は、補修工事のためしばらく第二殿豊受皇大神にお遷しとていますので御承知下さい
(宮司)との貼紙があります。
【ご由緒】
初代藩主徳川頼宣公か城下町の鬼門神とするため寛永5年(1628)に創建されたと伝わる。爾来、吹上、今福、砂山地区の産土神として、また家内安全、商売繁盛、諸願成就の神として、信仰をあつめている。(境内の掲示から)
「境内社」
手入れの行き届いた境内には、境内社5社がお祀りされています。
写真 (上) 天満神社と金比羅神社 稲荷神社
(下) 猿田彦神社 [石柱] 恵比須神社
「吹上袖摺松」
神社は鬱蒼とした古木におおわれており、鳥居をくぐるとその袂に「吹上袖摺松」と呼ばれる松と石碑があります。
由緒によると
「その昔、この地一帯は「吹上荘」と称し、南北に小高い山丘が連なり、その西側が波打ち際であったと云われている。
また、社頭に松の枯木があり、その松を「吹上袖摺松」と唱え、また「業平袖摺松」ともいう。往時、社前を通行する人は皆その松の枝に袖を触れたのでその名が付けられたとのこと。 現在はその跡地に小さい松の木が植えられている。
Posted by jiiyasan at
21:14
│Comments(2)