2008年07月09日

戦災供養塔

 
  昭和20年7月9日夜、和歌山市は米軍の大空襲により多数の住民が犠牲になりました。 総和28年1月その霊をなぐさめるため、汀公園に「戦災殉難者供養塔」が建設され、現在「慈悲菩薩」が安置されています。

 『太平洋戦争の戦勢いよいよ急迫を告げる昭和20年7月9日米軍飛行機B29の大編隊がわが市に来襲し、深更3時間に亘って焼夷攻撃を恣にした  市街は紅蓮の炎に包まれ焦熱地獄、阿鼻叫喚の巷と化し此処約千五百坪の空地に避難する市民無慮幾千 忽ち大旋風吹き起こって四辺の猛爆熾烈を加え無残非業に倒れる市民748名に上る 後市内に散在した戦災犠牲者の遺骨を併せ累計千数百体を荼毘に付してここに合同埋葬した
 実に和歌山市開市以来の大悲惨事にして 戦争の残虐また説くに忍びない 乃ち供養塔建設会成って大慈大悲の尊像を安置し 謹みて無辜にして戦争の犠牲となった市民の霊を慰め 平和の悲願達成を祈るものである 』 
碑文表面~原文のまま)



 戦災殉難者供養塔は昭和28年1月に汀公園に建設されました。被災後63年を経たいま、焼け野が原と化した市街も復興し、付近の景観もすっかり変わり当時の悲惨な出来事を知る人も少なくなってきました。ここに改めて哀悼の意を表したいと思います。




 また、同夜の大空襲により内堀川に架かる中橋の付近でも多くの住民の方が犠牲になられたました。この方々の霊を弔うために付近の有志の人々が「中橋地蔵尊」が建てられました。
 
 「中橋地蔵尊」縁起(全文)
 『昭和20年7月9日、和歌山市がアメリカ軍の大空襲を蒙った際、地区住民の方々が戦火より逃れんとして中橋及び城下橋  下の内堀川の水中に避難されましたが、折悪しく満潮時に直面し多数の人々が死亡されました。
   その霊を弔う為に地蔵尊を建立し中橋地蔵尊と名付けました   有志一同 』






  










  


Posted by jiiyasan at 08:55Comments(3)