2008年07月28日
シラス
シラス(天日干し)
和歌山市の西脇漁港近くのシラス加工場では、「シラス」の天日干しが行われています。
夏場の今は漁獲量も少ないので、天日干しはすくないが、最盛期(春と秋)には乾燥場一面に「シラス」の真っ白な絨毯ができ、付近は美味な匂いでおおわれます。
また、均等な干し具合にするために、手作業で数回かき混ぜて程よい柔らかい製品に仕上げ、漁獲量の多いときは冷蔵、冷凍して出荷しています。
網船(左)とバッチ網(右)
シラス漁は3隻1組で行います。網の名前は通称「バッチ網」(網をひろげると男性のズボン下に似ていることからこの名で呼ばれている。)といわれ、網船2隻が魚群探知機で魚群を見て1つの網を両端から引いて、袋網と云われる網目の小さな網に追い込み捕獲します。
「シラス」はイワシの稚魚で年間通じて獲れるが、最近は水揚げが減少気味のため、申し合わせで週2回は休漁して資源保護につとめている。また、和歌山は全国有数の「シラス」の生産県で知られ、昔から紀伊水道を北上する「シラス」の習性を利用し紀北沿岸の沖合いを漁場としている。
運搬船と生シラス
3隻のうち1隻は、運搬船で漁獲したしらすを25キロぐらいの籠に入れ、新鮮なうちに漁港に運び、水揚げするとすぐ入札して加工場に運ばれるのでこの上もなく新鮮です。
和歌山市の西脇漁港近くのシラス加工場では、「シラス」の天日干しが行われています。
夏場の今は漁獲量も少ないので、天日干しはすくないが、最盛期(春と秋)には乾燥場一面に「シラス」の真っ白な絨毯ができ、付近は美味な匂いでおおわれます。
また、均等な干し具合にするために、手作業で数回かき混ぜて程よい柔らかい製品に仕上げ、漁獲量の多いときは冷蔵、冷凍して出荷しています。
網船(左)とバッチ網(右)
シラス漁は3隻1組で行います。網の名前は通称「バッチ網」(網をひろげると男性のズボン下に似ていることからこの名で呼ばれている。)といわれ、網船2隻が魚群探知機で魚群を見て1つの網を両端から引いて、袋網と云われる網目の小さな網に追い込み捕獲します。
「シラス」はイワシの稚魚で年間通じて獲れるが、最近は水揚げが減少気味のため、申し合わせで週2回は休漁して資源保護につとめている。また、和歌山は全国有数の「シラス」の生産県で知られ、昔から紀伊水道を北上する「シラス」の習性を利用し紀北沿岸の沖合いを漁場としている。
運搬船と生シラス
3隻のうち1隻は、運搬船で漁獲したしらすを25キロぐらいの籠に入れ、新鮮なうちに漁港に運び、水揚げするとすぐ入札して加工場に運ばれるのでこの上もなく新鮮です。
Posted by jiiyasan at
17:04
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2008年07月22日
夏本番
夏本番となりました
夏休みに入り最初の三連休が好天に恵まれ沢山の海水浴客で賑わいました。、今年は、早くからの猛暑つずきの上、梅雨明けを待ちかねた人々で海は賑わいましたが、心なしか例年に比してやや車の数が少ないように思いました。
海岸には、かつて見慣れた葦簀張り(よしずばり)の浜店はすっかり姿を消し、海辺はピーチパラソルで埋まりましたが、サーフィンエリアは、比較的閑散でした。
【がんばれ少年たち】
8月9~14日茨城県水戸市で開催の第28回全日本学童軟式野球大会(高円宮杯)に県代表として地元の「西脇少年野球クラブ」が出場します。
同大会は「小学生の甲子園」ともいわれ、同チームは5年ぶりに県予選を勝ち抜いて県代表となりました。現在、夏休みに入り、選手達は炎天のもと、連日近くの「河西公園野球場」で猛練習をしています。
健闘を祈ります。
【健闘を祈る】
来る北京五輪大会のレスリング(フリースタイル60キロ級)に、日本代表として地元出身の「湯元健一さん」が出場することが決まりました。 メダル獲得を目指してがんばってくだし。(8月19日に初戦)
Posted by jiiyasan at
14:00
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2008年07月15日
夏野菜(漬物用)の出荷
源五兵衛西瓜(げんごべえすいか)
梅雨明けのこの時期、今年も和歌山(河西地区)特産の源五兵衛西瓜の出荷が最盛期に入りました。
この西瓜(すいか)は、「奈良漬用」のコダマ西瓜で、定められた大きさ(直径5.4~6.4センチ大)になると取りいれします。この規格に合うサイズの西瓜を採果するために農家の方は1日に2~3回も収穫のため畑に行きます。大きくなりすぎても小さくても商品価値はゼロになり廃棄せねばなりません。このために、小鎌で蔓に切り口を入れて成長を遅らせるなどして大変です。
また、収穫した西瓜はすぐにひとつひとつに小さい針で穴をあけた上、酒かす(塩入り)の桶につけこみます。 その後何回も桶の中を手で攪拌したのちに、運送用の容器に詰めて漬物屋に出荷します。
手間のかかるうえに重労働ですよね。
源五兵衛西瓜は、普通の西瓜のように縞模様がなく、白っぽい皮をしています。(右は実生用の西瓜で大きく熟成させ来年用の種を取ります。)
最近は、一時期に比して「奈良漬」の需要が少なくなったためか、栽培農家も以前に比して激減しました。
青瓜(浅漬け用)
昔から 夏だけの浅漬け用の需要の大きい「青瓜」も出荷の最盛期になりました。この青瓜も適当な大きさのうちに取り入れせなばならす、農家の方もたいへんです。青瓜はダンボール箱(10キロ)に詰めて、毎年お盆過ぎまで大阪中央市場に連日出荷します。
この栽培農家も最近はすくなくなりました。
Posted by jiiyasan at
10:02
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2008年07月09日
戦災供養塔
昭和20年7月9日夜、和歌山市は米軍の大空襲により多数の住民が犠牲になりました。 総和28年1月その霊をなぐさめるため、汀公園に「戦災殉難者供養塔」が建設され、現在「慈悲菩薩」が安置されています。
『太平洋戦争の戦勢いよいよ急迫を告げる昭和20年7月9日米軍飛行機B29の大編隊がわが市に来襲し、深更3時間に亘って焼夷攻撃を恣にした 市街は紅蓮の炎に包まれ焦熱地獄、阿鼻叫喚の巷と化し此処約千五百坪の空地に避難する市民無慮幾千 忽ち大旋風吹き起こって四辺の猛爆熾烈を加え無残非業に倒れる市民748名に上る 後市内に散在した戦災犠牲者の遺骨を併せ累計千数百体を荼毘に付してここに合同埋葬した
実に和歌山市開市以来の大悲惨事にして 戦争の残虐また説くに忍びない 乃ち供養塔建設会成って大慈大悲の尊像を安置し 謹みて無辜にして戦争の犠牲となった市民の霊を慰め 平和の悲願達成を祈るものである 』
(碑文表面~原文のまま)
戦災殉難者供養塔は昭和28年1月に汀公園に建設されました。被災後63年を経たいま、焼け野が原と化した市街も復興し、付近の景観もすっかり変わり当時の悲惨な出来事を知る人も少なくなってきました。ここに改めて哀悼の意を表したいと思います。
また、同夜の大空襲により内堀川に架かる中橋の付近でも多くの住民の方が犠牲になられたました。この方々の霊を弔うために付近の有志の人々が「中橋地蔵尊」が建てられました。
「中橋地蔵尊」縁起(全文)
『昭和20年7月9日、和歌山市がアメリカ軍の大空襲を蒙った際、地区住民の方々が戦火より逃れんとして中橋及び城下橋 下の内堀川の水中に避難されましたが、折悪しく満潮時に直面し多数の人々が死亡されました。
その霊を弔う為に地蔵尊を建立し中橋地蔵尊と名付けました 有志一同 』
Posted by jiiyasan at
08:55
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2008年07月02日
姫神社
和歌山市河西地区(榎原)に古いお宮があります。
「姫神社」と掲額があるこの神社は、小さい鳥居と祠がひとつある簡素な宮である。榎原地区の氏神であるが、明治末期の神社合祀令によって近くの木本八幡宮の境内に遷される可能性があったらしいが、この地区住民の願いで存続が認められたといわれる。
なお、祭神は「市杵嶋姫命」(いつきしまひめのみこと)(日本神話に登場する水の神のこと)とのこと
姫神社は、鬱蒼とした古木におおわれており、鳥居脇には「地区自治会館」があり、また、祠の裏側には「防火用の貯水槽」がある。このような神社は珍しいのではなかろうか、
この地区は、以前は田圃に囲まれた農村地帯であり、地形的に低地だったため、大雨時にはよく浸水になやまされた来たので、「水の神様」を氏神様として祀っていたのでしょう(コレはわたしの想像ですが・・・・)
Posted by jiiyasan at
08:21
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