2008年09月30日

再建と再生

 再建50年(和歌山城)
 昭和20年の大空襲で天守閣のない石垣だけのなっていた「和歌山城」は、、13年後の
     昭和33年10月1日
に再建されました。全国の国宝天守閣の再建第1号で、今年で50年がたち本年5月から記念行事(城フェスタ)が行われています。

 当時のわが国は、戦後の食料難や住宅難が十分に解消されず、ようやく経済復興が緒に就いたばかりの中で、いち早くシンボルのお城が見事に再建されたのでした、
 
 これに要した総工費1億2千万のうち、市民の寄付金は5,700万円(総額の47.6%)に及んだとのこと。当時の市民の熱意がいかに高かったかを示している。また、残余については、企業3社(住金、東燃、丸善)と松下幸之助氏が応分に寄付をされたと聞いたことがあります  (写真は本年6月1日に東急インから撮影)

  「伏虎城」(竹垣城) 
和歌山城は、江戸時代には別名「虎伏山竹垣城」と呼ばれ、焼失前(木造)には「国宝」に指定されていました。名前の由来は、和歌山城の建つ山が海上からみると猛虎が伏している姿に似ているからだといわれている




 
  伏虎像 
 和歌山城の大手門を渡るとすぐの処に「伏虎像」像がある。 この像は、天守閣再建の翌昭和34年に市民の寄贈で再建されたものです。
  
 初代の像は青銅製で大正11年(1922)に建てられましたが、戦時下の昭和17年(1942)に金属回収令により国に供出され、長らく台座のみになっていました。
 
 『メモ』 
 初代の伏虎像は、虎の立像であったが、作家・有吉佐和子さんの小説「紀ノ川」のなかで、「虎の前足と後足が同時に前進しており不自然である」と登場人物に語らせたくだりがあり広く知られるようになった。(私は子供の頃何度もみたが、気づかなかった)





 楠の木神社」 
大手門を渡ると、右手の石垣の上を見上げると大きな楠の木が見えます。
 この楠木は大空襲を受けた時、枯死寸前になっていたが、その後数年後に息を吹き返して再生(蘇生)し、驚異的な生命力の力強さが話題になったものでした。
  
 この樹齢450年とかいわれるこの「楠の木」は現在「樟守大神」として「楠木神社」に祀られおり、近くのお年寄り達の奉仕でいつも落葉を掃きあつめ、清められています。
   


Posted by jiiyasan at 09:47Comments(7)