2008年11月10日

「河西橋」


 貴重な遺産「河西橋」  
 レンガ造りやコンクリート製の橋脚に支えられ、また橋脚間も不揃いで何となんとなく心もとない感じのこの橋「河西橋」は、紀ノ川の「北島橋」と「紀ノ川大橋」の間にあり、架設されてからもうすぐ100年を迎える。

 ①「河西橋」の前身は、大正3年(1914)に当時の加太軽便鉄道(明治44年創業 北島~加太間を運転)が和歌山市内に乗り入れたときに架けられた鉄道橋で「紀ノ川橋梁」と呼ばれていた。

 ②昭和15年全線電化により「加太電気鉄道」と社名変更、蒸気機関車から電気機関車が走るようになり、昭和17年南海電鉄に合併され、「南海電鉄加太線」となった。




 歴史の重みを持つ橋 
 ③その後、住友金属が湊地区で稼動を始めた昭和19年ごろには製品の鉄道輸送が増えたが、この「紀ノ川橋梁」がその荷重に耐えられないことが判明し、貨物輸送のために南海本線紀ノ川駅と加太支線東松江駅を結ぶ間に線路を敷設。

 ④昭和25年に紀ノ川駅と東松江駅間が電化され、現在のように加太支線が紀ノ川駅経由となった後も、和歌山市~北島~東松江のルートが「北島線」として営業していたが、その後1953年のジェーン台風などで「紀ノ川橋梁」が被災するなど事故のため、1966年から同線を廃止、「橋梁」は和歌山市に譲渡し「河西橋」となったものである。

 現在、廃線当時に残された駅舎跡や線路跡地などそれらしきものはこの付近に全然見当たらず、その後の時代の変化の激しさを感じる。





 市民の足を支える橋
 巾約4メートル、長さ約800メートルのこの「河西橋」は歩行者、自転車(単車)専用として現在でも付近の住民の人々の通勤、通学に利用され市民の足を支えています。
 
 軽便鉄道時代から通学、通勤に長く利用させってもらい、現在でも時々この「河西橋」を利用することがあり、この意味での感謝の気持ちでいっぱいです。





  


Posted by jiiyasan at 20:51Comments(11)