2008年12月22日

晩秋(スポーツの秋)

 冬至(21日)は昼が一年中で一番短く、夜が長くなるニ十四節気のひとつで、この日から寒くなるというに今年は時期はずれの陽気になりました。
 現在は季節に関係なく手に入れることができる野菜の代表の「かぼちゃ」と「ゆず」ですが、昔はこの日に「かぼちゃ」を食べて金運を祈り、「ゆず湯」にはいり無病息災を願う行事が各家庭で行われていました。



  冬至(柚子)
   
 今年も近所から冬至に欠かせない「柚子」を頂き、早速「柚子湯」にはいりました。

「柚子湯」にはいると、冷え性やリューマチにも効き、体が温まり、かぜにもよいといわれ、毎年「ゆず湯」をいただいています。


 
 21日、恒例の全国高校駅伝が都大路に繰り広げられ、男子は佐久長聖(長野)が、女子は豊川(愛知)がともに初優勝をかざりました。
 (知人の息子さんが和北高の選手で走りました。)


甲子園ボウル」 
  アメリカンフットボール・学生王者決定戦(甲子園ボウル)が21日大阪長居スタジアムで行われました。
改修中の甲子園にかわり、昨年に続き今年も長居でおこなわれましたが、立命(関西代表)が法政(関東代表)を19-8で破り、4年ぶりに優勝し、来年1月3日の日本選手権(ライスボウル 東京ドーム)で社会人王者のパナソニック電工と日本一の座を争う。
 (立命には甥がアメフト部に在籍していたことがあり、この日の試合にも行ってました。)



 
 「ガンバ大阪」世界3位
「サッカー・トヨタ・クラブワールドカップ(W杯)三位決定戦でG大阪がパチューカ(メキシコ)に1-0で競り勝ちました。
18日の「マンU」(イギリス)との準決勝戦で5-3と敗れた「G大阪」ですが、その健闘ぶりは賞賛される。  


Posted by jiiyasan at 14:08Comments(6)

2008年12月16日

雑感(サッカー)

 毎年この時期になるとサッカーはじめ各種ウインタースポーツが花盛り。私は「元旦サッカー」や「高校サッカー」などまた「アメフト(甲子園ボウル)」などのTV観戦で過ごすことにしています。  

       
 「ガンバ大阪」頑張る
 12月14日、FIFA 公式戦トヨタ・カップ・W・C杯準々決勝戦(豊田スタジアム)で「ガンバ大阪」がオーストラリアのアデレード戦に勝ち、18日に欧州代表の「マンチェスター・U」とた対戦することになった。(写真はCKで攻めるガンバ・TVより)

 「サッカー」は手以外は体のどこを使ってもよい競技。ルールも「オフサイド」のほかは至って簡単。現在、巷間につかわれている「イエローカード」「レッドカード」に代表される反則行為や暴力行為などはよく分かるし、どんな場合も審判の判定は絶対的。

 サッカーの歴史はきわめて歴史が古く世界で最も人気のスポーツであるが、わが国では1990年代にプロサッカー(Jリーグ)が組織されて以来急速にサッカー熱が普及し、いまや女子サッカーチームが誕生するなど、また競技人口のはか「サポーター」とよばれるファンも多く、昔を知るものにとり隔世の感がする。 


  「思い出の一枚
 中学3年の夏休みに親友に誘われて当時「蹴球部」に入部したのが私と「サッカー」の出合い。
その頃の「サッカー」は「ア式蹴球」(association football)と呼ばれており、,競技人口も県下で僅か10校足らずが部組織を持つに過ぎす、一般には単なるボール蹴りの集団としてしか知られていなっかた。

 当時、和歌山の野球は全国優勝をするなどして野球王国として有名であった(サッカーは神戸大阪がトップクラス)がサッカーはその存在さえも知られていなかった。
 
 歴史的に当時の各府県とも師範学校が強かったようだが、こんななか昭和16年秋の県下の大会で和歌山師範と県下の優勝戦が行われたものだ。
 日時は不確かだが和歌山師範校庭で同校との間で行われたが、僅かに帰省していた先輩が2~3人が見に来ていた程度で一般観客(応援)は全くゼロ。
 
 この試合前半1点をリードされたハーフタイム時に先輩に「貴様ら眠っているのか!」と全員1発ずつ見舞われた結果か後半に4点を入れて逆転勝ちし優勝したのを覚えている。
 (写真は翌17年1月卒業時の部の記念撮影で賞状や優勝杯を持った数少ない思い出の1枚です。)



  運動会のいとこま
 写真は、昭和16年10月に行われた体育大会に、各運動部対抗の百足競走の示威行進のときのスナップ(メモ書より)。
各部が試合時の姿(相撲部はふんどし、剣道は防具を付けるなど)で出場。蹴球部の後は水泳部です。
 この写真のバックには、今でも残るスタンドが見られます。当時は鉄条網が張られていたが誰かが時々切り、通学時の近道などの利用されていたようだ。


 【アルテリー ボ和歌山】と【紀州レンジャーズ】が発足
 新聞等の報道によると、来期から和歌山にも J リーグ入りを目指してクラブチーム「アルデリーボ」が、4月に開幕するプロ野球・関西独立リーグに参入する予定の「紀州レンジャーズ」がそれぞれ決成されて、地域おこしの決め手として活躍が期待されています。みんなで応援しましょう。


  


Posted by jiiyasan at 22:42Comments(2)

2008年12月07日

12月8日(雑感)


 「三社詣で」(日前宮・竈山神社・伊太木曾神社) 
 今年も12月8日がめぐってきました。67年前のこの日は、わが国の運命を大きく変えた日米開戦の日でした。
当時、私は中学5年に在学していたが、真珠湾攻撃をの数日後、全校生徒がゲートル(巻脚絆)、背嚢をつげ重い村田銃を肩に「三社詣で」に行ったのが昨日のように思い出されます。日時の記憶が不確かですが、粉雪がちらつく中の行軍ではなかったかとおもいます。

 この時期になるといろいろな回顧記事が新聞などに出ますが、「鉄鋼生産量は日本の10倍、原油生産量は740倍の国を向こうにまわしての開戦であった」(読売編集手帳より)という。まさに質量ともに格差のある国を向こうに無謀な戦。竹やり精神だけで勝てる神国に、その後戦後の経済復興はできたものの、自虐の歴史感は今だしの感が残るこの頃だ。




映画 「ハワイマレー沖海戦
 真珠湾攻撃から満1年後、戦意昂揚の目的で映画「ハワイマレー沖開戦が製作(東宝)されて上映され日本人のすべてが見たといわれたわが国初の特撮映画(ミニチュアーモデルにによる)がありました。
 
この名作が公開された時期は、すでに「ミッドウエー開戦」での日本の敗戦を機に戦局が大きく変わっていたのは、本当に歴史的皮肉だったといわれている。  (同映画のスティール写真より)




 
    「努力!天は自ら助くるものを助く」
 母校の和中(現桐蔭)図書館前に、先輩の野村海軍大将筆になる「箴言碑」(しんげん 格言)が今も建つている。(昭和8年建立) 
  この碑に示された「自助の精神」は現在も校訓として後輩諸君に受け継がれていることでしょう。

 <メモ>海軍軍人で外交官、政治家として活躍された野村大将は、日米開戦時の駐米特命全権大使として日米交渉にあったたが開戦を回避できず、戦後は日本復興に全力を尽くし、参議院議員などもつとめた。
 
 <思い出> よく私達の学生時代は、軍国主義の教育時代に育てられたといわれた不幸な時代といわれる。確か大戦突入後は軍事教育は強められたが、私達の時代は他校に比し自由色の残る時代で、先生方にも自由主義的な方や個性豊かな方が多かったと思う。  


Posted by jiiyasan at 22:28Comments(4)