2009年01月28日

旧正月(太魯湖渓谷 台湾)

 今年の旧正月は1月26日(月)でした。
 30年前の昭和54年(1979)2月上旬、中学時代の「サッカー」仲間1行で、「春慶節」で賑わう台北に旅行しました。夜になる街のあちこちで爆竹がなりひびき、さすが食の国、屋台や飲食店は大賑わい、新年宴会(クラスメートの関係する会社が開催)にも同席させてもらい楽しい正月を満喫しました。
 
 台湾(中国)では、陰暦元旦(春節)から15日間は「春慶節」と呼ばれ重要な祭事の一つとして盛大に祝いますが、かつてはわが国の旧正月には漁船に大漁幡を取り付けたり、寒餅(煎餅餅)を搗いりしてそれなりの冬の風物詩のひとつでした。



 太魯湖渓谷
 台北から花蓮までひととび、有名な太魯湖渓谷に行き20キロにもわったてつずく絶景。奇形のつずく太魯湖渓谷の観光に行ってきまいた。両側の狭まる断崖や白く見える山並みや舗道はすべて大理石という渓谷。
 すばらしいの一語でした。

 


 「花蓮側の渓谷入り口」と「案内板」
建造物は、すべて「大理石」製です。

 

 
太魯湖渓谷の花蓮側には原住民「アミ族」の民族舞踊が上演されていました。
 
     


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2009年01月21日

大寒と入院

今年も暦どおり大寒にはいりました。近所の庭の早咲きの黄梅(左)と紅梅(右)の花が綻び始めました(1/20撮)

 


 私は去る1月13日(火)新病院が開院した労災病院に緊急入院しました。1週間の入院ののち大寒の20日(火)に退院できました。
 新病院の病室は4~6階(東、南の6病棟、1病棟50床)にあり、各病室の標示には色を替えたり、花の写真が配されるなどの工夫がなされ、また広い廊下の各所に生花や花の写真などが取り付けられるなどの細かい配慮が施されていました。




 病室からは、周辺のすばらしい展望を眼にすることができました。晴れた日には加太のサニータウンと紀淡海峡の向こうに淡路島が見られ(上左)、紀伊山脈の和歌山側には西高校、中、小学校やゴルフ場などが望見できました。
 また、南側の埋め立て地には住友金属の工場群が一望できました。
 今は、この地区一帯の住宅開発で、かつての田園風景が全く失なわた有様がよくわかりました。
  


Posted by jiiyasan at 19:51Comments(8)

2009年01月09日

小 寒

          
 大寒に入りも近いきょう、庭の白梅の蕾がふくらみ、丸く色づいてきました。80~100年近い古木と思いますが、毎年寒いこの時期に咲きはじめます。
 立春ごろには咲き揃うでしょう。



          
     今年また 生きる証の 年賀状
いただいた年賀状の整理もやっとおわりました。クラスメートや知人からの賀状が大分少なくなりましたが、かわって元気な子供達を撮ったデジカメ写真が多くなりました。




          
 今頃、庭は寂しくなる中で、1ヶ月程前から「アロエ」に花が咲いています。アフリカ原産のアロエはものすごい繁殖をします。
 20数年位前に、亡母がどこからかもらってきて薬用としていましたが、毎年切込んでも直ぐ大きくなります。
  


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2009年01月03日

正月スポーツ(関西勢の活躍)

 「ガンバ大阪」 が元旦サッカー優勝
 「ガンバ大阪」は、第88回天皇杯全日本選手権決勝(1日・国立)で「柏レイソル」と対戦し延長戦で1-0で勝ち、同チームの前身の「松下電器」時代の第70回大会以来、18年ぶりの優勝を果たした。



ライスボウル」や「箱根駅伝
 アメリカンフットボール日本選手権「ライスボール」(3日・東京ドームで)で学生王者の「立命館」が17ー13の大接戦で、社会人王者の「パナソニック電工」(旧松下電工)を破り5年ぶり日本一にかがやいた。

  また、新年恒例の「第85回東京箱根間往復大学駅伝」で、東洋大が初Vを飾りました。



健闘した「近大和歌山」
第87全国高校サッカー第3回戦で「近大和歌山高校」が兵庫県代表「滝川第2」と対戦(3日・さいたま)し、後半に3点を入れられて敗れ昨年につづいて「ベスト8」進出がなりませんでした
近大チームのGKが私達の遠縁になりTV中継で声援していましたが、その善戦が讃えられます。
   


Posted by jiiyasan at 20:56Comments(4)

2009年01月01日

賀正

       
           
  
    新年おめでとうございます

私は大正14年(1925)この家が新築された時に、信州の善光寺近くに住まわれていた友人から当家にお祝いに贈られ、84年間床間に鎮座しています。
 
 鋳銅製の私の重さ約4㌔、今年はこの家に来て「8回目の当り年」になりました。今後もこの家の「福牛」として大切に扱われるでしょう。
  


Posted by jiiyasan at 00:10Comments(3)