2008年10月13日

糸切餅(いときりもち)

糸切餅(いときりもち)本脇糸切餅
 古来、和歌山から加太を経て大川峠を越える紀州街道は、加太淡島神社や円光大師で有名だった報恩講寺(大川寺)を結ぶ「信仰の道」でもあった。この「信仰の道」の中間点に位置した「射箭頭八幡神社」の付近の茶屋で休憩した旅人の腹をみたし、家族へのみやげ物となったのが「糸切餅」であった。

【由来】 『神話の時代、神功皇后がこの地に立ち寄られた際、住民が「長く伸ばした餅を弓弦で切って献上した」ことを起源として昭和の初めにいたるまで和歌山中の人々に永く愛された名物糸切餅、その糸切餅を現代に甦らせました。 いときり会』  (糸切餅の包装紙より転載)
  註; 「いときり会」とは本脇地区で昭和46年に設立され、活発な活動で知られている老人クラブ」のこと      です」                                        


糸切餅(いときりもち)
 射箭頭八幡神社
【所在地】 和歌山市本脇260 
【由 緒】 この神社の社号は古く、息長足姫尊(神功皇后)が三韓からの帰途加太浦に着船したときに、鏑矢(かぶらや)を射た際にその矢の落ちた場所(現位置より北西約380㍍)に落ちたので、この名が付けられたとされいる。

その後、神功皇后が「品陀大子」(応神天皇)とともにこの地を訪れてお社をたてられたという。
 この際に付近の住民が弓の弦で餅を切って献上したことから、その地を「糸切」と名付けられたといわれ、その後この近くで餅を搗いて販売する店ができたとのこと。


糸切餅(いときりもち)
 古い歴史をもつ糸切餅「本脇糸切餅」については「紀伊名所図絵」(1811)などの古い書物にも名物として記載されている古い歴史を持ち、最盛時には射箭頭神社の付近には4軒の茶屋があったらしいが、社会の変化で昭和10年ごろに茶屋が姿を消し製造販売されなくなった。

 しかし、平成14年に「いときり会」や松江の和菓子屋「川口屋」さんの努力で伝統ある「糸切餅」復活させ、1年に1度射箭頭神社の宵宮祭(通常は10月14日)に製造販売されることになったのです。
  今年の例大祭(10月15日)は平日にあたったため、宵宮祭は他の「秋祭り行事」にあわせて12日(日)に行われ、神社境内で販売されました。販売店には歴史を示す由緒ある看板が置かれていましたが、素朴な味に人気が集まり、毎年いつもすぐに売り切れになります。



Posted by jiiyasan at 22:01│Comments(2)
この記事へのコメント
糸きり餅のことは、知りませんでした。本当の名物ですよね。2000年近く前からのイワレがある食べ物。すごいですね。

 それを復活されたということは、みなさんの情熱と努力のたまものと思います。

 神功皇后さんの時代は、浪速よりも和歌山から紀の川で大和へのルートが一般的であったと、大学時代に習いました。
 
Posted by 植松淳平 at 2008年10月14日 22:47
植松淳平さんへ
コメントありがとうございます。

「いときり会」では、発足40周年の記念事業のひとつとして、会員の方々の記憶を頼りに「糸切餅」の再現を試みたそうですがうまくいかず、結局専門の「川口屋」さんに製作を依頼されたそうです。

川口屋さんでは同じような「糸切餅」を造られていた滋賀県多賀大社までゆくなどし、独自の研究を重ねて努力の末に復活にこぎつけたとのことです。

すばらしいことですね。
Posted by jiiyasanjiiyasan at 2008年10月15日 09:20
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