2008年12月07日

12月8日(雑感)


 「三社詣で」(日前宮・竈山神社・伊太木曾神社) 
 今年も12月8日がめぐってきました。67年前のこの日は、わが国の運命を大きく変えた日米開戦の日でした。
当時、私は中学5年に在学していたが、真珠湾攻撃をの数日後、全校生徒がゲートル(巻脚絆)、背嚢をつげ重い村田銃を肩に「三社詣で」に行ったのが昨日のように思い出されます。日時の記憶が不確かですが、粉雪がちらつく中の行軍ではなかったかとおもいます。

 この時期になるといろいろな回顧記事が新聞などに出ますが、「鉄鋼生産量は日本の10倍、原油生産量は740倍の国を向こうにまわしての開戦であった」(読売編集手帳より)という。まさに質量ともに格差のある国を向こうに無謀な戦。竹やり精神だけで勝てる神国に、その後戦後の経済復興はできたものの、自虐の歴史感は今だしの感が残るこの頃だ。




映画 「ハワイマレー沖海戦
 真珠湾攻撃から満1年後、戦意昂揚の目的で映画「ハワイマレー沖開戦が製作(東宝)されて上映され日本人のすべてが見たといわれたわが国初の特撮映画(ミニチュアーモデルにによる)がありました。
 
この名作が公開された時期は、すでに「ミッドウエー開戦」での日本の敗戦を機に戦局が大きく変わっていたのは、本当に歴史的皮肉だったといわれている。  (同映画のスティール写真より)




 
    「努力!天は自ら助くるものを助く」
 母校の和中(現桐蔭)図書館前に、先輩の野村海軍大将筆になる「箴言碑」(しんげん 格言)が今も建つている。(昭和8年建立) 
  この碑に示された「自助の精神」は現在も校訓として後輩諸君に受け継がれていることでしょう。

 <メモ>海軍軍人で外交官、政治家として活躍された野村大将は、日米開戦時の駐米特命全権大使として日米交渉にあったたが開戦を回避できず、戦後は日本復興に全力を尽くし、参議院議員などもつとめた。
 
 <思い出> よく私達の学生時代は、軍国主義の教育時代に育てられたといわれた不幸な時代といわれる。確か大戦突入後は軍事教育は強められたが、私達の時代は他校に比し自由色の残る時代で、先生方にも自由主義的な方や個性豊かな方が多かったと思う。



この記事へのコメント
こんばんは。
今日は12月8日ですね。
昭和16年12月8日は私はまだ国民学校の1年生でした。
それから終戦の昭和20年8月15日までの4年間、
私の人生で一番長かった4年間です。
中学5年生と小学j1年生。
じいやさんは私の大先輩ですね。
Posted by ゆーしょー at 2008年12月08日 22:43
いつも読ませていただいております。私は12月8日の新聞を(産経)見ましたが、戦後63年も経つと1行の記事もないことに、時代の変化を感じました。jiysannのブログで救われました。当時小学校2年生だった私たちは月の始めは、村の鎮守様へ駆け足で武運長久をお祈りに行きました。上級生が先頭で普通に歩いても下級生は駆け足になります。
とてもしんどかったことを思い出しました。
Posted by 川端 at 2008年12月11日 00:17
ゆーしょーさんへ

 長かった4年間でしたが、みんな得がたい経験を得たと思っています。
 
この時代に生きた私達は、誰でも現在の毎日の出来事を見るにつけてやりきれなさ感じる人は多いと思いますが・・・・。
 
Posted by jiiyasanjiiyasan at 2008年12月11日 09:39
川端さんへ

コメントありがとうございます。
私達の年代はそれぞれに貴重な経験をしてきましたね。

 最近のマスコミは故意に古い戦争の記事を避けているのか、連日の不祥事の報道に振り回されているのか、私達の先輩の流した血を無駄にしないためにも、もう一度はっきりした国の行方を論じてほしいとおもいますね。
Posted by jiiyasanjiiyasan at 2008年12月11日 09:56
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