2009年05月18日

回顧(1944)

 
 【引き下げ
 第二次大戦の戦況は、軍発表では「転進」「玉砕」などと伝えられてはいたものの、なんとなく形勢が良くないようだと感じ始めたこの時期だった。、

 私達に直接影響をもたらしたのは「徴兵制度の変更」であった。
当時の日本男子は、国民皆兵制度で満20歳になると徴兵検査を受ける義務が課せられていた。
ところが、戦況悪化に伴い昭和18年末に「徴兵適齢が一年引き下げ」られ「満19歳」になった。

 このため私は19歳(昭和19年の夏)に徴兵検査を受けて「甲種合格」となった。(因みに検査の結果は甲、乙,丙、丁とのランク分けされ丁種以外は徴兵の対象となった。私は予備学生に採用が決定したので、陸軍には入隊しなかった。)
 

   【繰り上げ】
 私は、神戸工専(旧制高工)を昭和20年3月に(1945)に卒業予定であったが、前年の文科系の大学などの徴集猶予措置の廃止につづいて、私達の理工系も6ヶ月の「繰上げ卒業」となり、多くの同級生が卒業と同時に徴兵となった。

 また、この年の1月4日~4月23日までの4ヶ月間、私どもは勤労動員となりで明石市大久保にあった川西機械kkに動員され(学業放棄)しており、結局2年間しか勉学できなかったしなかった。今から考えると散々な学生生活であり青春時代であった。

 「幸運」
上記のように、昭和19年は徴兵適齢の切り下げや、繰上げ卒業などで私達の年代の大半の人ははあまり良い思い出がなかった中で、、私は恵まれた方だったと思っている。(ご苦労された方に申し訳ないが・・・)

 私は幸運にも家から近くの和歌山に「住友」(和歌山)に就職でき、翌20年3月まで会社勤めをした。
短期間であったが、たまたま同工場が「海軍指定の軍需工場」であったために、海軍に行くこととなtっていたために徴集猶予()5ヶ月)となった。
 同工場に就職した同期生のうち半数は陸軍へ行ったが、中には外地に派遣されたものもあり、敗戦とともに抑留生活を余儀なくされご苦労をされた人もあったった。
 
 【海軍】 軍事色の濃かった中学時代ではあったが、なんとなく格好よく見えた海軍に運よく予備学生として行ったことは当時としてはあまり有難いとはおもわなっかたが、結果的に運のよかった方だった。
 

 「ばら色」
 バラ色とは何いろなのでしょうか。
幸福・喜び・希望などに満ちた状態のことらしいが、わが人生にそんな状態になったことがなっかたように思います。

よく聞く「ばら色の人生」には無縁の青春でした。





 
 
 




この記事へのコメント
良きご伴侶にめぐりあわれ
ご長寿であられたのは
何よりのばら色の人生だったのではないでしょうか。

今バラの花が咲き競いよい季節になりました。

4月半ばに捻挫をしてギブスを3週間、やっとサポーターを装着してすごせるようになりました。
身体が不自由であるというのは経験しないと分からないものでした。
Posted by kojima at 2009年05月19日 20:23
こじまさんへ

そうでしたか。お互いにギブス生活。つらいですが辛抱のみですね。私の腰部の完治は無理であきらめています。
寝たきりになりたくないので、ただそれだけの希望です。
Posted by jiiyasanjiiyasan at 2009年05月23日 15:32
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