2007年06月17日

寄合橋と藩校跡

  
 
寄合橋は南海和歌市駅から南へ徒歩約5分、内川にかかる鉄筋コンクリート橋の寄合橋は、たもとには灯火の親柱を備え、きれいなシルエットを持っている。

この橋は昭和16年頃に木製から架け替えられ、昭和20年の大空襲にも耐えて焼夷弾の痕跡を持ったままに残っている古い橋のひとつである。
このあたりの一帯は天保時代から明治初年まで各種物産の荷揚げ場として賑わい、付近は裕福な商人の町であったそうである。
 
私は中学時代に毎年2月頃になると、寒稽古のときには早朝ため市電がないのでこの橋を渡って、人気のない通りを剣道具を肩に学校に通ったことが懐かしい思い出として今も残っている。


 
寄合橋の北詰に位置する酒造会社『世界一統)の東南角の目立たないところに「藩校跡」の標識がたっている。今の風景からは知る由もないところだが、この標識に記されたところによると…
 
『正徳3年(1713)五代藩主徳川吉宗よって創設され、当時は講堂と呼ばれたが、その後衰微して,寛政2年『1791』十代藩主冶宣が再興し藩校学習館をを開校、東西35m南北52mの敷地を占め、
学習館が藩士及びその子弟の教育に当たったが・・・・・』

 とあり、江戸時代の紀州藩の儒者や藩士らが当時の木製の寄合橋を往復していた姿が偲ばれる。


この記事へのコメント
普段は車であっという間に通り過ぎてしまう所でも遠い昔を偲ぶ場所が色々あるんですね。じいやさんが子どもの頃にはもう市電が走っていたんですね。ちなみに私も高校のころ剣道やってました。
また色々教えて下さい。
Posted by まぶだちの”E”です at 2007年06月17日 22:31
こんばんは。 ゆーしょーです。
段々ブログが立派になって来ましたね。
私もこの春、「川のある風景」 「橋のある風景」 の取材のために
ここへ撮影に来ました。
しかし夕方だったため、逆光になってしまいました。
この橋の名前をはっきり入れようと思えば、午前中でないと駄目ですね。
何はともあれ、2枚の写真も、文章も素晴らしい出来ですね。
Posted by ゆーしょー at 2007年06月18日 02:15
ゆーしょーさん コメントありがとうございます。
お褒めにあずかり光栄です ブログをはじめようと先生に言われ、その後外出するときには、デジカメを持ち歩きよい画材がないか探し歩くようになりました。
 デジカメがこんなに便利で役に立つとは最近まで思いもつきませんでした 
今後ともご指導のほどを。
Posted by jiiyasan at 2007年06月18日 17:31
まぶだちの”E”さんへ
コメントありがとうございます。
私たちの通学には、市電で通学するには学校の許可が必要でした。当時は和歌山電気軌道(戦後南海電車に合併、軌道撤去後は南海バスに)という会社。いろいろありましたね。
 
Posted by jiiyasan at 2007年06月18日 18:22
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