2007年08月03日

太田城の水攻め(1)




太田城跡の碑
 
天正13年(1585)豊臣秀吉は6万の大軍を率いて紀州攻めをした。
そのとき太田城に攻めよせた際、太田党は太田左近宗正を大将として、約5千人が太田城に立てこもり、秀吉軍に強く抵抗した。

そこで秀吉軍は城を取り囲む総延長5~6kmに及ぶ堤を築き紀ノ川から水を引いて、水攻めを行ったという。 この攻防は約1ヶ月におよんだが、ついに左近ら中心人物50余人の首を差し出すことを条件に他の者が助命されて開城したとされている。

現在、この太田城の本丸跡を示す立派な石碑が建てられている。
 
          


來迎寺

 
 太田城の本丸跡とされる場所は、この來迎寺(太田529)である、太田城は、当時この來迎寺と隣りの玄通寺を中心として東西250m、南北200mの広大で,城の周囲に深い堀をめぐらし、堅固な城壁で囲まれ三つの大門などを持っていたという。
 
 今は、戦後の都市計画事業などで当時の姿をとどめるものが失われてしまった。



この記事へのコメント
こんばんは。 ゆーしょーです。
和歌山の人なら知らない人がないくらい有名な秀吉による 「太田城水攻め」 のあった 「太田城跡」 ですね。
私も訪れたいと思っているのですが、あの付近、都市計画で道幅が広くなってしまい、どのあたりか見当がつかなくなってしまいました。
Posted by ゆーしょー at 2007年08月05日 21:19
ゆーしょーさんへ
いつもコメントありがうごさいます。

 昔の太田城跡は、わずかに碑が残っているからわかるものの、現在では当時の面影は何もありませんね。近代化はよいことしょうが、歴史上の遺物がだんだんと忘れ去られていくのは残念ですね。

 
Posted by jiiyasan at 2007年08月06日 21:13
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