2007年11月19日

首大仏と武家屋敷



首大佛 
浄土宗・無量光寺(吹上5丁目)の境内に首だけの珍しい」釈迦像がある 顔の高さ約3m(奈良の大佛は5m)の像は「首大仏」と呼ばれ、首から上のことなら何にでもご利益があるといわれて、特に受験期になるとお参りする親子が大勢訪れるそうである。

 縁起によると、この「首大仏」は「首大仏様」(おぼとけさま)と呼ぶらしい。

また、縁起には次のような記事が書かれている。その要旨は

 江戸時代の半ばに和歌山城下の武家屋敷で仲間として奉公していた一少年が出家し、京都の本山で修行して「遠心」と名乗り和歌山に帰郷。その後市内納定の一庵(後に大福寺となる)で念仏修行中であったが、その際に一丈六尺に及ぶ大仏様を目の前にしたちいう。このことを知った村人たちは「遠心和尚」の為ならと協力して、銅製の丈六佛を鋳造し完成させたという。

 しかし、「遠心」の没後(1768)67年目に丈六佛の隣りにあった本堂が火災、丈六佛も炎上し溶解してしまったので、村民たちが再興を発願した。そして鎌倉大仏を目標に、まず首だけをさきに溶けた銅を用いて鋳造することになり、 天保11年(1840)に御首だけが完成したので、ひとまず開眼大法要を行った。その後村民たちは仏体を継ごうとしたが、資金等がつづかずにいたところ、安政元年の大地震で大福寺が壊滅してしまい大福寺が廃寺になったため、当寺に安置されることとなったものだという。



 無量光寺
 創建 :文政12年
 由緒  第10代紀州藩主徳川冶宝公が和歌山出身の徳本上人の功徳をたたえて創建され、不断念仏の道場としたとしたといわれる。明治14年の火災で伽藍が縮小されたが、同41年(1908)に末寺の大福寺にあった「首大仏」を受け入れて安置。そのほか宝物が沢山あるとのこと。

 山門には『禁殺生」「禁葷酒肉」 (殺生はしない。生臭いものや酒も厳禁)との碑が左右に建てられ、また「きっちり反省、すっきり出発」と書いた掲示があった。
 





無量光寺は、5本の白い横線の入った黄色の塀に囲まれ、なんとなく格式を感じます。(左)
また、この寺の近くに武家屋敷」が1軒残っている。窓に格子の入った「連子窓」(れんじまど)や「なまこ塀」などを備え、門の左右には「馬乗石」「馬つなぎ石」など昔の名残がみられる。(右)

 いずれも戦災を免れて残ったものであろうが、、このあたり一帯は実際に武士達が生活していたのかと思うと、江戸時代の昔にタイムスリップしてしまう。



この記事へのコメント
 首大仏様すごいですね!3mもあるんですか!
量行寺や武家屋敷は和歌山とは思えないですね。
津和野や金沢みたい 身近な所にも落ち着いたいい場所がたくさんあるんですね。
『きっちり反省、すっきり出発』失敗だらけの私にぴったりのお言葉
Posted by まぶだちの”E” at 2007年11月26日 21:23
まぶだちの”E”さんへ

いつもコメントありがとうございます
無量光寺あたりの寺町道りは、和歌山でも一番落ち着く風情の残る
ところでしょうね。

 首大仏は実物を見ると、圧倒されそうな迫力を感じますよ。それにしても昔の人はすごいですね。今のような機械力が皆無で、すべて人力でこんな巨大なものを造ったのはオドロキですね。
Posted by jiiyasan at 2007年11月27日 20:08
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