2008年11月22日

報恩講寺(2)

報恩講寺通称大川寺

 

山 門】 大川寺は小さいながら総欅つくりの本堂、山門とも見事である。

大会式】 毎年11月22日から3日間 、大川寺では
              法然上人着船記念大会式(だいえしき
   が行われます。          
    
    和歌山方面からは南海加太駅から徒歩で険しい大川峠(現在は大川トンネルができて通行止め)を超えて大変でした     が、たくさんお参り客があり、沿道には土産物が並び大賑わいでした。  
   
    当時人気の土産物のひとつに「てんぽうなし」(梨の一種か)があり、よくお土産にもらったものでし     た。
 



 四天王

  山門の左右の正面(写真上)と内側向けに左右(写真下)に四天王が配置されています。

  作者等など詳しいことは不明ですが、いづれも150センチぐらいの木像で、多少の色落ちがみられるものの立派な四天王で  す。なんでも本尊の法然上人様をお守りしているとのこと。




     釣鐘塔 
    大川寺の釣鐘塔には鐘がぶら下がっていません。先の戦争で金属供出令でなくなったままなのです。
    付近の山にこだまする荘厳な鐘の音が聞けたらと思いました。







  【国境の標柱】 和歌山市大川地区と大阪府泉南郡岬町小島地区の間の海岸線の防波堤の傍らに「紀伊国」の標示が      ある大ききな標柱をみつけた。
    いつごろ建てられたものか不明だが、江戸時代の「紀伊国」と「和泉国」の国境(現在の府県境)を示したものでしょう。

  【円光風】 毎年大川寺の「大会式」が近づくと決まったように北西の季節風が吹き寒さが強まり、冬の到来を告げるのが常   で、私達はこの風を「円光風」と呼んでいました。
  民話によると、法然上人が流罪からの帰途、「ちぬの海」(大阪湾)に入ったとき猛吹雪に遭いこの大川の浜辺に打ち上げ   られたが、村の支配者や村民の手厚い介抱で数日後元気を取り戻したという。   
   今年も数日前から急に、冬の気候になりました。

    <メモ> 写真は今年8月中旬に撮ったものです・  


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2008年11月17日

報恩講寺(1)

 報恩講寺本堂

 所在地 和歌山市大川117
 宗 派  西山浄土宗
 開 山  法然上人
 札 所  法然上人二十五霊場(第8番)
 
 報恩講寺(通称大川寺)は、江戸時代初期の承元2年(1208)に創建されたといわれ、総欅つくりの二階建てになっている珍しい建物という。
  
 また、大川寺には、「浄土宗の宗祖」の法然上人がみすからお創りになった直作の像を安置しておまつりいるといわれる。

歴史】 法然上人が承元2年(1207)法難により流罪になっていた「土佐」から赦免され、船に乗って京への帰途、嵐に逢ってこの地付近に漂着したとき、この地の長者はじめ村民の歓待を受けて約1ヶ月余滞留しといわれる。
 このとき村人たちは、法然から念仏の教えを受けたが、このとき法然は桜の木に自像をつくり村民達に残したという。
 
 法然上人」が京にお帰りになったのち、村人たちは法然の御影を安置して念仏の霊場とし、江戸時代のはじめ「報恩講寺」と称するよう になった。




 「大川寺参道入り口」と「大川トンネル
和歌山から大川トンネル(長さ約3㌔)を抜けると直ぐのところに大川寺への参道がある。
この大川地区はかつて商港として栄えたというが、今は戸数十数戸の集落で参道も昔のままの道で狭い。


 

 この道を少し山手に入ると右手に大川寺本堂の裏手がみえる。二階建てがよくわかる。
 なお、この大川寺は紀泉山脈の最西端の高森山(標高295㍍)の麓に位置して豪壮なつくりとよくマッチしいぇいる。

阿弥陀如来像】 本堂に安置さるれてれいろ木像は円光背をもった寄木つくりの阿弥陀如来(像高88㌢奥行き69㌢)で後世の修理跡が見られるが全体としては保存がよく、現在市指定文化財(美術工芸品)である(掲示文より)




 
 本堂前には「三十三地蔵」や「べんずりさん」とよばれている木像などが安置されている。安置にいたった由来等は不祥だがいづれも信者の寄進になるものとのこと。
三十三地蔵】(左) いつの時代か不明だが、当寺は三十三ヶ所の札所になっていたことがあるらしく、信者が寄進されたものといわれる。
永代御焼香講】 文久2年や世話人6人の名前がみられる
べんずりさん】 眼の病気を治してくれるという「べんずりさん」はよく見ると目玉がなくなっていた。近づいてみるとその風貌が魁偉。これも信者が安置したもので、裏側に記載があるという。

 註:山門等は次にゆずりたい







  


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2008年11月10日

「河西橋」


 貴重な遺産「河西橋」  
 レンガ造りやコンクリート製の橋脚に支えられ、また橋脚間も不揃いで何となんとなく心もとない感じのこの橋「河西橋」は、紀ノ川の「北島橋」と「紀ノ川大橋」の間にあり、架設されてからもうすぐ100年を迎える。

 ①「河西橋」の前身は、大正3年(1914)に当時の加太軽便鉄道(明治44年創業 北島~加太間を運転)が和歌山市内に乗り入れたときに架けられた鉄道橋で「紀ノ川橋梁」と呼ばれていた。

 ②昭和15年全線電化により「加太電気鉄道」と社名変更、蒸気機関車から電気機関車が走るようになり、昭和17年南海電鉄に合併され、「南海電鉄加太線」となった。




 歴史の重みを持つ橋 
 ③その後、住友金属が湊地区で稼動を始めた昭和19年ごろには製品の鉄道輸送が増えたが、この「紀ノ川橋梁」がその荷重に耐えられないことが判明し、貨物輸送のために南海本線紀ノ川駅と加太支線東松江駅を結ぶ間に線路を敷設。

 ④昭和25年に紀ノ川駅と東松江駅間が電化され、現在のように加太支線が紀ノ川駅経由となった後も、和歌山市~北島~東松江のルートが「北島線」として営業していたが、その後1953年のジェーン台風などで「紀ノ川橋梁」が被災するなど事故のため、1966年から同線を廃止、「橋梁」は和歌山市に譲渡し「河西橋」となったものである。

 現在、廃線当時に残された駅舎跡や線路跡地などそれらしきものはこの付近に全然見当たらず、その後の時代の変化の激しさを感じる。





 市民の足を支える橋
 巾約4メートル、長さ約800メートルのこの「河西橋」は歩行者、自転車(単車)専用として現在でも付近の住民の人々の通勤、通学に利用され市民の足を支えています。
 
 軽便鉄道時代から通学、通勤に長く利用させってもらい、現在でも時々この「河西橋」を利用することがあり、この意味での感謝の気持ちでいっぱいです。





  


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2008年11月03日

松江春日神社


 「拝 殿
社頭掲示板などによると
【所在地】 和歌山市松江中3-1(南海加太線中松江駅南すぐ)
【御祭神】 武甕槌命(たけみかつちのみこと)、経津主命(ふつぬしにみこと)ほか15柱
【創 建】  正平5年(1350年)
【大祭日】 1月10日(恵比須祭)
        7月15日(夏季大祭)
       10月15日(秋季大祭)  
と記されている。 最近は「松江のえべっさん」として広く知られている。

 【御由緒】 「松江」という地名の由来は、この地が出雲の松江に酷似していたとのことであり、上古に出雲の大神を勧請(かんじょう)して、この近くの湖水の中の松林に中に産土神としてお祀りしていたという。
 
 また、この松江付近は、海に臨み、紀ノ川に近く、津波・高波。洪水などなどの被害の絶えない地域だったが、南北朝の時代この地の支配者であった、藤原某が「京都春日大社」の御霊を勧請して元の祭神と合祀し、「春日神社」と改称するにいたったといわれている。

 (正確な後由緒については、戦火で社伝、日記類が焼失しために口伝などによっているとのこと。)
 
  

                   


 摂 社
拝殿の西側(左)に恵比須宮、東側(右)妙見宮が配されている。



 

 
松江春日神社の境内は楠・樫などの巨木が密集し、大鳥居は南向きに大通りに面し境内はブロック製の塀がとりまいています。
 鳥居を潜ると左に社務所と並んで「忠魂碑」が建っています。この碑は裏面に{昭和13年 松江村」建立の記載が見られ、戦後に当時の「松江村小学校」からこの神社に移設されたものという。

 メモ: このブログの写真は秋季大祭(10月15日)に撮影したものです。  


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2008年10月24日

今年の秋

 
台風ゼロ

今年は台風の上陸ゼロで終わりそうとか。
 
 東北や九州などの各地を襲ったような「ゲリラ豪雨」もなく、最近は秋にしては暑い日々が続いていますね。
気象庁によると今年の台風発生は平年並み(現在まで18号)らしいが、日本に張り出した高気圧の配置の都合で台風がみな中国方面に進んだ結果8年ぶりにゼロになったとのこと。




遠 足
好天の去る28日(火)たまたま遠足に来ていた小学生をみかけました。赤帽の児童は先生に引率され、また、青い帽子の児童たちは、ゴミ収集をして帰る準備中。翌日から雨天つづきでよかったね。





秋 祭 り
好天のもとでの秋祭りに子供たちは元気いっぱい。





  七五三と紅葉狩
神社には「七五三まいり」の幟が、駅には沿線の「紅葉だより」の駅貼りポスターが、それぞれ季節の移り変わりを告げています。
  


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2008年10月19日

朝椋神社

  朝椋神社(あさくら 
【所在地】 和歌山市鷺の森明神丁                                                                      (南海和歌山市駅南東1㌔)
【祭 神】  大国主命
  
 社域は広くはないが、大きく育った数本の松や楠の木が境内をおおている。
由緒や創建に関する記録は戦災等で焼失したというが、古代史などに記載されている由緒のあるお宮である。
 
 現在の社殿等は昭和36年再建されたというが、住宅街の中に小さいが手入れの行き届いた境内に風格を感じさせる。



 
拝殿と歌碑

 拝殿の傍らに本居宣長の歌碑がある
   
     「広まへに 緑も深く枝たれて よにめづらしき 神がきの松」 

と詠める。建立年代は不明というが「倉田績」筆とある。 本居宣長が和歌山に滞在した際に、社頭の「社霊の松」に奉納した歌と伝えられる。
 



      
  摂社: 神明神社(左)と子守勝手神社(右)が配されており、それぞれ縁起についての掲示がある。  


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2008年10月13日

糸切餅(いときりもち)

本脇糸切餅
 古来、和歌山から加太を経て大川峠を越える紀州街道は、加太淡島神社や円光大師で有名だった報恩講寺(大川寺)を結ぶ「信仰の道」でもあった。この「信仰の道」の中間点に位置した「射箭頭八幡神社」の付近の茶屋で休憩した旅人の腹をみたし、家族へのみやげ物となったのが「糸切餅」であった。

【由来】 『神話の時代、神功皇后がこの地に立ち寄られた際、住民が「長く伸ばした餅を弓弦で切って献上した」ことを起源として昭和の初めにいたるまで和歌山中の人々に永く愛された名物糸切餅、その糸切餅を現代に甦らせました。 いときり会』  (糸切餅の包装紙より転載)
  註; 「いときり会」とは本脇地区で昭和46年に設立され、活発な活動で知られている老人クラブ」のこと      です」                                        



 射箭頭八幡神社
【所在地】 和歌山市本脇260 
【由 緒】 この神社の社号は古く、息長足姫尊(神功皇后)が三韓からの帰途加太浦に着船したときに、鏑矢(かぶらや)を射た際にその矢の落ちた場所(現位置より北西約380㍍)に落ちたので、この名が付けられたとされいる。

その後、神功皇后が「品陀大子」(応神天皇)とともにこの地を訪れてお社をたてられたという。
 この際に付近の住民が弓の弦で餅を切って献上したことから、その地を「糸切」と名付けられたといわれ、その後この近くで餅を搗いて販売する店ができたとのこと。



 古い歴史をもつ糸切餅「本脇糸切餅」については「紀伊名所図絵」(1811)などの古い書物にも名物として記載されている古い歴史を持ち、最盛時には射箭頭神社の付近には4軒の茶屋があったらしいが、社会の変化で昭和10年ごろに茶屋が姿を消し製造販売されなくなった。

 しかし、平成14年に「いときり会」や松江の和菓子屋「川口屋」さんの努力で伝統ある「糸切餅」復活させ、1年に1度射箭頭神社の宵宮祭(通常は10月14日)に製造販売されることになったのです。
  今年の例大祭(10月15日)は平日にあたったため、宵宮祭は他の「秋祭り行事」にあわせて12日(日)に行われ、神社境内で販売されました。販売店には歴史を示す由緒ある看板が置かれていましたが、素朴な味に人気が集まり、毎年いつもすぐに売り切れになります。
  


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2008年10月07日

秋来る(運動会)




 秋の運動会
雨のために順延されていた小学校の運動会が行われました。(10月7日)
この日もあまりよい天候でありませんでしたが、約380名の児童たちは、元気いっぱいでいろいろの演技を繰り広げました。





 


 


  


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2008年09月30日

再建と再生

 再建50年(和歌山城)
 昭和20年の大空襲で天守閣のない石垣だけのなっていた「和歌山城」は、、13年後の
     昭和33年10月1日
に再建されました。全国の国宝天守閣の再建第1号で、今年で50年がたち本年5月から記念行事(城フェスタ)が行われています。

 当時のわが国は、戦後の食料難や住宅難が十分に解消されず、ようやく経済復興が緒に就いたばかりの中で、いち早くシンボルのお城が見事に再建されたのでした、
 
 これに要した総工費1億2千万のうち、市民の寄付金は5,700万円(総額の47.6%)に及んだとのこと。当時の市民の熱意がいかに高かったかを示している。また、残余については、企業3社(住金、東燃、丸善)と松下幸之助氏が応分に寄付をされたと聞いたことがあります  (写真は本年6月1日に東急インから撮影)

  「伏虎城」(竹垣城) 
和歌山城は、江戸時代には別名「虎伏山竹垣城」と呼ばれ、焼失前(木造)には「国宝」に指定されていました。名前の由来は、和歌山城の建つ山が海上からみると猛虎が伏している姿に似ているからだといわれている




 
  伏虎像 
 和歌山城の大手門を渡るとすぐの処に「伏虎像」像がある。 この像は、天守閣再建の翌昭和34年に市民の寄贈で再建されたものです。
  
 初代の像は青銅製で大正11年(1922)に建てられましたが、戦時下の昭和17年(1942)に金属回収令により国に供出され、長らく台座のみになっていました。
 
 『メモ』 
 初代の伏虎像は、虎の立像であったが、作家・有吉佐和子さんの小説「紀ノ川」のなかで、「虎の前足と後足が同時に前進しており不自然である」と登場人物に語らせたくだりがあり広く知られるようになった。(私は子供の頃何度もみたが、気づかなかった)





 楠の木神社」 
大手門を渡ると、右手の石垣の上を見上げると大きな楠の木が見えます。
 この楠木は大空襲を受けた時、枯死寸前になっていたが、その後数年後に息を吹き返して再生(蘇生)し、驚異的な生命力の力強さが話題になったものでした。
  
 この樹齢450年とかいわれるこの「楠の木」は現在「樟守大神」として「楠木神社」に祀られおり、近くのお年寄り達の奉仕でいつも落葉を掃きあつめ、清められています。
   


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2008年09月23日

秋分の日

  お彼岸 
 「秋分(春分)の日」は、太陽が真東から出て真西に沈むとともに、昼と夜の長さが同じ(正確には若干差があるというが)など季節の重要な節目として、また、「熱さ寒さも彼岸ま」でなどと日常生活のうえで重要な変わり目と知られています。 

 古来、わが国の農村では春分の頃には豊作を祈り、秋分の日には豊作に感謝する「自然信仰」の習わしがありいろいろな行事があったようで、近代になって「仏教信仰」が浸透するとともに「春の彼岸」「秋の彼岸」として祖先崇拝の行事が行われるようになったとのことで、今ではわが国の固有の行事となっています。 
 
 昭和23年国民の祝日の制定に伴い「国民の祝日」に制定されました
   (写真は9月23日午後5時20分ごろの磯の浦海岸の日没でした。)






 【彼岸会】 わが国の仏教行事の代表的なお盆とならんであげられるのは「春と秋の彼岸会」です
 各寺院さんでは、「法要や法話」などが営まれ、また一般家庭ではお先祖様のお墓参りなどををしとて仏道精進の日としてい ます。
 
 【彼岸花】 昔はこの時期になると農村部で見られた彼岸花は、最近はめっきり少なくなってしまいました。





 彼岸花我が家の庭の日陰の目立たない場所に咲いた「彼岸花」です。
 (左から9月16日、20日、23日に同じ花を撮影したもの。)


  


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2008年09月15日

「ジャズ」と「敬老会」


 拡大した「ジャズストリート」
9月14日(日)午後本町通りを歩行者天国にして「ジャズ生演奏」などがあり、またこの会場には露天店が開店しました。
2003年からブラクリ丁で行われていたジャズストリートを拡大し、また「城フェスタ」に協賛して初めて企画したということで、はじめての行事としてはまずまずの人出だったよう。

 地域の活性化を図る行事としてもっと魅力的な行事として定着してもらいたいものです。




 敬老会
9月15日(休)「敬老の日」に「地区敬老会」が開かれ、「カラオケ」をはじめ「踊り」、「寸劇」など多彩な芸が披露され、会館を埋めたお年寄りたちを喜ばせました。

顔見知りの出演者がほとんどで、そのたび拍手と喝采が送られ、楽しいひと時を過ごしました。




  


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2008年09月11日

母校で表彰

 9月10日(水)北京五輪で「銅メダルに輝いた湯元健一選手」に対して
和歌山市スポーツ特別栄誉賞
の表彰式が、母校西脇小学校で行われました。ik_72

 授与式には全校児童や市民ら約1千人近くが見守る中で、大橋和歌山市長から表彰状やクリスタルガラス製のメダル、トロフィーなどが贈られ、また、市長や関係の代表者から、同選手の健闘をたたえるメッセージがあったのち同選手から「地域の皆さんの声援おかげです」との謝辞が述べられた。



 先輩おめでとう

会場(同小体育館)には小学校児童や幼稚園児の造った
  「先輩 北京オリンッピク銅メダルおめでとう」
  「ゆもとせんしゅどうどうめだるおめでとう」

の懸垂幕が張られていました。

 つづいて同会場で、同選手と児童たちの交流会が開催されました。
  


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2008年09月04日

メダルを胸に


 おめでとう!湯元選手
さきの北京五輪男子60㌔級レスリングで健闘した湯元健一選手が、9月3日(水)「銅メダル」を胸に自宅(和歌山市本脇)に帰省しました。(同選手は現在東京で勤務中)




 湯元選手の帰省を知った地区の人々達は、到着駅の「南海加太支線二里ヶ浜」につめかけ、拍手と歓声で同選手を出迎えました。




 
  同駅前の西脇小学校校庭では地元の団体代表等からのお祝いの花束贈呈などがあり、同君の健闘を讃えました。最後に参加者全員で万歳三唱等があり、「次は兄弟でロンドンを」「金をめざして」などの檄を飛ばす人も。
 (9月10日に各種団体が共催で西脇小体育館で報告会が開催の予定ということです)

  


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2008年08月31日

送る夏

 
 
猛暑つづきの「08年夏」も今日でおわり。

今年の海水浴場は、珍しく台風の接近などでの遊泳禁止日もなく、まずまずの人出があったようだ。

 最終日の海辺にはピーチパラソルも姿を消して、さすがに人影もまばら。







 夏のみなれた「ハイビスカス」の赤と「ユカタ草」の白がまもなく見られなくなる日もちかい。





 右の写真の丸いのは、実ったイチジクの木に付けられた「鳥ヨケCD」です。風に揺られてると蝶のように見える。
最近ホームセンターで買ってきたという。





 「金魚すくい」や「ヨーヨーつり」など・・・・・・・。JA「愛菜テマリッコ」の夏まつり(8月30日)での子供達。





  


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2008年08月23日

祝 湯元選手


 「銅メダル」おめでとう
 北京五輪第11日(8月19日)、レスリング男子60㌔級(フリースタイル)で、西脇地区出身の湯元健一選手が堂々の銅メダルを獲得ました。 地元ではこのほど、県道筋などに声援の横断幕に加えて、お祝いの横断幕が設置されました。

 「和歌山から世界へ」と初出場で積極的なタックルで勝ちとった「銅メダル」おめでとう。





 
テレビでの実況中継で、同選手の健闘に拍手を送られた方も多かったでしょう。
 報道では、つぎのロンドン(2012)には、弟さんの進一さん(双子の弟で55㌔級の選手)と一緒に行くんだとの力強い決意を披露したとのこと。頑張ってください。  


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2008年08月18日

おどるんや

第5回紀州よさこい祭り」が8月16日(土)~17日(日)の間、和歌山市内6会場で、「ありがとうのまち」で宣言をテーマに掲げて行われました。ことしは、17日朝の「高松演舞場(高松~車庫前)のパレードを見に行きました。



 高松演舞場は高知の「よさこい踊り」をモデルに「ちょこっと高知っぽい」との前触れどうり。
鳴子をひびかせながらの踊りを披露するチームなどあり道幅いっぱいに繰り広げられた乱舞は迫力満点。若いエネルギーに圧倒された。ik_20




 踊り子達のなかには、とりどりの化粧や衣装で観客の眼をひきつけていました。




地方車(じかたしゃ)
踊り子達を先導する「地方車」は、音響装置を積んで祭をいやがうえにももりあげていました。  


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2008年08月11日

たそがれコンサート

 「たそがれコンサート 8月9日(土)18:~
西脇中学校吹奏楽部による「たそがれコンサート」が8月9日(土)海水浴場でありました。
昨年に続きて2回目ですが、1時間ちかく地元の方々や父兄を前に軽やかなメロディーがながされました。



 この時間になると、さすがに浜辺には海水浴客もマバラとなり閑散となります。夕日が静かに沈んでゆきます。





この日は北東方向の和泉山脈ぞいに積乱雲がみられました。夕日に映えてきれいな色合いでしたがどこかで降雨があるのかも。 今年は、当地の海は今まで静かで「遊泳禁止」になった日はありませんでした。
  


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2008年08月04日

太子堂


  太子堂 
 加太淡島神社の近くに弘法大師を祀る「太子堂」があります。白い壁の小さな建物で、毎月21日の「お大師さんの日」には近くの信者の方たちがお参りし、花を供えしたりお経を上げたりしてお祭りしているとのことです。




 「太子堂」には、小さな「弘法太子木像」がお祀りされているとのことです。 その他の由来や創建等はわかりませんが、小さいお堂や境内は手入れが行き届いており、これからも信心深い方々によって長く護持されていくと思います。
 小高い境内から民家の屋根越しに、ちょっと加太港が望見できます。


    
 
 
 「太子堂」への案内や看板などは見あたりません。 淡島神社近くの山手に入る目立たない路地を少し行くと、小高い山の麓にあります。自転車1台がやっと通れるほどの曲がりくねった路地には両側に民家が密集しています。
 
 太子堂の下には旅館等が立ち並び、近くの加太海水浴場には朝早くからピーチパラソルの花が咲いていました。(8月3日撮)  


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2008年07月28日

シラス

 シラス(天日干し) 
 和歌山市の西脇漁港近くのシラス加工場では、「シラス」の天日干しが行われています。
 夏場の今は漁獲量も少ないので、天日干しはすくないが、最盛期(春と秋)には乾燥場一面に「シラス」の真っ白な絨毯ができ、付近は美味な匂いでおおわれます。
 また、均等な干し具合にするために、手作業で数回かき混ぜて程よい柔らかい製品に仕上げ、漁獲量の多いときは冷蔵、冷凍して出荷しています。





 網船(左)とバッチ網(右)
 シラス漁は3隻1組で行います。網の名前は通称「バッチ網」(網をひろげると男性のズボン下に似ていることからこの名で呼ばれている。)といわれ、網船2隻が魚群探知機で魚群を見て1つの網を両端から引いて、袋網と云われる網目の小さな網に追い込み捕獲します。
 
  「シラス」はイワシの稚魚で年間通じて獲れるが、最近は水揚げが減少気味のため、申し合わせで週2回は休漁して資源保護につとめている。また、和歌山は全国有数の「シラス」の生産県で知られ、昔から紀伊水道を北上する「シラス」の習性を利用し紀北沿岸の沖合いを漁場としている。
 




運搬船と生シラス
 3隻のうち1隻は、運搬船で漁獲したしらすを25キロぐらいの籠に入れ、新鮮なうちに漁港に運び、水揚げするとすぐ入札して加工場に運ばれるのでこの上もなく新鮮です。








  


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2008年07月22日

夏本番


 
 夏本番となりました
夏休みに入り最初の三連休が好天に恵まれ沢山の海水浴客で賑わいました。、今年は、早くからの猛暑つずきの上、梅雨明けを待ちかねた人々で海は賑わいましたが、心なしか例年に比してやや車の数が少ないように思いました。
 海岸には、かつて見慣れた葦簀張り(よしずばり)の浜店はすっかり姿を消し、海辺はピーチパラソルで埋まりましたが、サーフィンエリアは、比較的閑散でした。

  
 


 
がんばれ少年たち】 
 8月9~14日茨城県水戸市で開催の第28回全日本学童軟式野球大会(高円宮杯)に県代表として地元の「西脇少年野球クラブ」が出場します。
 同大会は「小学生の甲子園」ともいわれ、同チームは5年ぶりに県予選を勝ち抜いて県代表となりました。現在、夏休みに入り、選手達は炎天のもと、連日近くの「河西公園野球場」で猛練習をしています。
 健闘を祈ります。

健闘を祈る】 
 来る北京五輪大会のレスリング(フリースタイル60キロ級)に、日本代表として地元出身の「湯元健一さん」が出場することが決まりました。 メダル獲得を目指してがんばってくだし。(8月19日に初戦)



  


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