2009年04月21日

近づく節句


  
  武者人形
 端午の節句がちかづいて、近くの家に五月人形(武者人形)が飾られていると聞いたので写真に収めてきました。
優雅なたたずまいの中に威厳のある「祝い兜」で立派な人形さんです。




 鈴蘭(すすらん)
 数年前に花屋さんで買ってきた鈴蘭の鉢植を、花が終わってから何気なく埋めた場所が日当たりの良くないのが幸いしたのか毎年増えて今は200株を超えて群生するようになりました。
「鈴蘭」と呼ばれる晩春に咲くこの花は、派手さは全然感じられないが、なんとなく可憐さを感じさせてくれる。今年は例年より大分早く咲いたよう。別名「君影草」「谷間の姫百合」なとも呼ばれているが、毒性が強いので獣類は食べないので高原などでは群生しているとのこと。



春の花
近くの知人宅にいろいろな色のツツジ類が咲いていました。  


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2009年04月08日

春本番

        
 満開になりました
記録的な早い開花宣言した後の冷え込みで、ようやく平年どうりの満開時期になった河西公園の「さくら」。



 春の花
待ちかねたように庭の花がさきました。

  


 早くも鯉のぼり
気の早い鯉のぼりが威勢よく泳いでいました。
  


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2009年03月31日

継職法要

          
  「渓華山安楽寺
 3月29日(日)午後、安楽寺(和歌山市磯の浦26-1 浄土真宗本願寺派)で新住職の継職法要が営まれました。
創建300余年の安楽寺の9代目住職に「廣田芳英師」の継職について本山(西本願寺)からの許状伝達が披露され、あわせて山号「渓華山」の授与および偏額の掲示がありました。




 庭儀行列 
袈裟(法衣)を纏った8人の法中が庭儀宿から本堂まで行列をしました。
佛旗を掲げた旗手の先導で行われた行列の後部に沿道につめた檀家衆が行進の後につづき本堂に入った。  
 
 註:「法中」とは僧侶のこと。(ほっちゅうともいう)
   「庭儀」とは本堂に入る前の儀式のこと
   「佛旗」とは仏教行事に使われる旗(ぶっき)。お釈迦さまのお体から放たれる色(蒼、黄、赤、白、橙とそれらを合せた6    色)をあらわしたで旗。)1950年から万国共通に使用されています。
    いづれも仏教用語です。



          
          
 山門には、幔幕(大正11年に檀信徒から寄進されたもの)が取り付けられていました。  


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2009年03月25日

春をよぶ


 ガシラ
近所の釣名人から、「今が旬」のガシラをいただきました。まだピクピク動いているガシラ(別名かさご)を早速夕餉の一品となり
ましたが、新鮮な味は格別でした。




 
センバツ大会が開幕
 
第81回選抜高校野球大会が21日に改装された甲子園球場で開幕しました。
 「春を呼ぶ」との伝統ある選抜野球であるが、古豪・新鋭32校のうち果たして栄冠を手にするのはどこだろう。

あきらめない野球」(1979年8月星陵高校との準決勝戦で延長18回まで戦い逆転し勝利した)で知られた箕島高校も18年ぶりの出場。次に勝てば(28日の予定)ベスト8だ。

 WBC(World Baseball Classic)
「侍ジャパン」が2連覇。テレビ中継に釘づけになったのは、私だけではないでしょう。
 



 
 春場所 
 ナンバ」の大阪府立体育館で15(日)から開催されている大阪場所も早や10日を迎えました。
春の風物詩として定着して久しい大阪場所であるが、相撲界の後援者の語源となった「タニマチ」筋はかつての賑わいがないようだ。


  


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2009年03月18日

志磨神社

 
 
 志磨神社
【祭 神】 中津島姫命(市杵島姫命) 生国魂神
【所在地】 和歌山市中之島677(南海和歌山市駅から東1㌔、神社前にバス停前)あり)
【創 建】 約100年前神功皇后が三韓からの帰途に武内宿禰をして奉斉され、また江戸時代(1679)に本殿が造営されたと
      いう

【メモ】 神社の正しい名前は志摩ではなく志だそうです。
     拝殿右側に「村社 志磨神社」と刻まれた大きな石碑があります。


 
 摂社
 境内には天満神社、久島神社ほかお社(摂社)が沢山祀られています。




大鳥居 
 志磨神社は都市計画や付近の開発のよって神域が5分の1程度の広さとなったそうです。昔の境内と思われるところがマンションや道路となり、かつての「鎮守の森」の面影がなくなり寂しい限りだ。
 大鳥居は昔の豪壮な神域の名残をとどめています。

  


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2009年03月10日

浜口梧陵


 「浜口梧陵の像
和歌山県議事堂(北別館)の前に浜口梧陵の銅像があります。
梧陵は明治12年に和歌山県議会設置とともに初代議長となり、その他県政に尽くした功績を讃えて銅像が設立された。
 
 

 【いなむらの火】 
 安政元年(1854)に襲った「安政南海地震」があった際、有田郡広村に大津波が襲ったとき梧陵が村民の避難誘導のため自家の「稲むら」に火をつけて知らせ多くの村民を救ったといわれています。この話は、戦前の小学国語読本の巻十(五年生用)にも書かれていた。
 また、梧陵は私財を閉じて堅固な防波堤を造るなどで知られいる。




 和歌山県庁
 昭和13年築の和歌山県庁本館は、4階建ての横長でなんとなくどっしりした構え、築後70年を越えましたが、やわらかいオレンジ色でなんとなく風格を感じます。
 また、県庁の正面前にある楠木に隠れてわかりずらいですが、この地には徳川頼宣侯の家老「水野宗成」の屋敷跡でであったとの木製の標柱がある。




 しだれ梅
 見ごろを迎えた三重県津市の「結城神社」の「しだれ梅」は夜の観梅設備を整えて、最近人気が上昇中(3月6日撮)。本文とは無関係ですが折角近隣の方が最近購入したデジカメで写したので掲載させて貰いました。
  


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2009年03月03日

桃の節句など

       
 春のおとづれ
はや3月、桃とミニ雛人形(高さ約10㌢位)がならびました。
雛人形は全部イロ紙を折ってつくったもので、毎年この時期にとり出されます。       
     
       
       
 「ふきのとう」
今年は暖冬で早く開花です。(2月26日撮) 

       
       
       
 「クンシュラン
昨年近所から株をもらい、鉢植えして暖かい玄関で育てた為か今年に見事に開花しました。(2月26日撮)


       

      
 「玉椿
3月に入りいっせいに開花しました。字のごとく春に咲きますが、2000近い品種があるという。


        
       
 「メダカ」
 童謡などで広く唄われたメダカさんも、最近は見かけなくなりました。
 最近、水を張った植木鉢の中で元気なメダカを見かけました。元気に狭いところで跳ねていました。
数年まえに子供たちがもらってきたのを飼育しているとのことです。
 もうすぐ散卵をだそうです。  


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2009年02月25日

書道教室


 書道教室

3年程前から毎週1回付近の空部屋を利用し「書道教室」が開れています。教室とは名ばかりで、食堂とリビングを開放して机・椅子なども寄せ集め。各自で気に入ったところに陣取り、1回2時間の習字を楽しんでいます。
 
 先生は近くからお招きし指導を受けています。
お年寄り扱いの上手な先生、生徒はお互い顔見知りになか、和やかな雰囲気のなかの練習。最近はみんな大変上達したとお褒めの言葉。
 
自宅で練習を積んでいる人もたくさんで、見違えるような上達ぶり。「書」に親しむことで、いつまでも元気でね。




 作品展
近く書道展が市主催作品展への出品を目指して、みんな張り切って練習しています。



 
  生徒さんはほとんど60歳以上ですが、若い方の中には「資格」を取得するよう頑張っている人もあるよう聞いています。

 最近一同の記念撮影をさせてもらいました。(この日は数名が欠席でした)  


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2009年02月18日

春がそこまで(続)


 「姫大根」の出荷
毎年大寒の頃になると和歌山西脇地区では特産の「姫大根」を出荷しています。
長さ10㌢太さ親指ぐらいのミニサイズで、時無し大根を秋にバラ播きして、この時期にこの位の大きさのものから順次の抜いて出荷されるので、最近は「ナカヌキ大根」ともよばれているよう。
 料理屋のツマモノのほか、サラダや漬物などにも供されるとのことですが、最近は栽培農家も一時に比して激減しました。

かつては春を呼ぶ風物詩のひとつとしの「姫大根」の出荷も姿を消す日も近いのではと思います。



 
 ワカメ
先週当地に暴風波浪警報が発令され、若干大きな波が海岸に打ち寄せたものの大した被害もありませんでしたが、この
波のために近くの磯辺に打ち上げられた天然のワカメを拾う人が増え、近くの家の庭に天日干しにしたワカメが春近しを感じさせます。



 
田子ノ浦部屋」
3月15日の大相撲大阪場所が近づきましたが、田子ノ浦部屋の大阪宿舎が和歌山県営相撲場(和歌山県庁北)に開かれ、沢山の幟が翻っています。
 同部屋の親方は新宮市出身の「久島海」さん。平成10年現役を引退して、同12年に出羽の海部屋から独立して新しく「田子ノ浦部屋」を開き、まだ関取のいない小部屋ですが、県出身の有望力士などの激しい稽古が見れるでしょう。
  


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2009年02月11日

春がそこまで。

                              建国記念の日 「きょう2月11日は祝日(建国記念の日」ですので、夕刊は休ませていただきます。ご了承ください。OO新聞社」
上記はOO新聞社の朝刊のお知らせ記事でしたが、その他にこの祝日に関する記事はどこにも見当たりませんでした。

 昭和41年(1966)に祝日法が改正され翌年から2月11日が「建国記念の日」として制定実施されました。
かつては「紀元節」と呼ばれ4大節の一つとして定められていたが、第二次世界大戦後に廃止され、、その後何度かの復活運動を経て定められましたが、現在は特別な行事等もなく「日の丸」の掲揚する家庭もほとんどみあたらず、寂しい祝日になりました。



 「もうすぐ春
今年は暖冬といわれているとおり、庭の梅も開花も早く、近くの駅の水仙も芳香を放ち鈴なりの「キンカン}も兵越しに覗かせています。

 また、例年どうり「確定申告」用紙が送られてきて、足もとに近づいた「春」を感るころになりました。早いものですね。






アップルパイを焼く 
「マー君」に食べてもらうように「バーヤさん」が、アップルパイを焼いて、特産の蜜柑類と一緒に詰め合わせておくりました。

「おいしい!」といってパクツイテね。(まだ、言葉は話せないが)

暖かくなったら遊びにきて、元気な顔をみせてね。







  


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2009年02月05日

偶成


  偶 成 (ぐうせい
 
 少年老い易く学成り難し     少年易老学難成

 一寸の光陰軽んずべからず   一寸光陰f不可軽

 未だ覚めず池塘春草の夢    未覚池塘春草夢

 階前の梧葉己に秋声       階前梧葉己秋声



 【口語】
 少年はあっという間に年をとり、学ぶべきことを学ばずに終わる。時間を無駄にしてはいけない。池の端に燃える春の草が夢をまどどんでいるうちに、庭先の青桐の葉はいつの間にか黄色く染まり、すでに秋風がしのび寄っている。


わたしの好きな漢詩
 南宋の哲学者「朱子」の作といわれるこの漢詩は、中学の漢文で教えられた。たまたま、30年前に「春慶節」に台湾へ行ったときに見つけて買った掛軸で、いつも我が家の床の間に架けらている。
  
 落款には、「戌午年陽春月」(昭和53年陰暦正月)と書家名「錦山」とあるが、案内してくれた台湾に詳しい友人の話では信頼できる店とのことで購入してきた。


 
 ゴルフ 30年前の台湾旅行の日程は
第1日 (2.4)台北市内を半日観光
第2日 (2.8)太魯湖渓谷の見物
第3日 (2.9)台湾ゴルフクラブ(旧淡水ゴルフ)
第4日 基隆港を見学して午後帰国
  ゴルフは、始めての海外でのプレーであった。寄せ集めの貸しクラブを借りてプレーした。  
(写真は大阪OSGCの14Hです)






 
 基隆港(山の上に造られたコンテナーヤード
 
 現地の方の案内で基隆港に行きました。同港は日本統治時代には軍港として使用されていたことで知られていましたが、通常はコンテナー船の接岸地にあるコンテナヤードが遠くの山の上に造成されているのを見てびっくりしました。
  


   


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2009年01月28日

旧正月(太魯湖渓谷 台湾)

 今年の旧正月は1月26日(月)でした。
 30年前の昭和54年(1979)2月上旬、中学時代の「サッカー」仲間1行で、「春慶節」で賑わう台北に旅行しました。夜になる街のあちこちで爆竹がなりひびき、さすが食の国、屋台や飲食店は大賑わい、新年宴会(クラスメートの関係する会社が開催)にも同席させてもらい楽しい正月を満喫しました。
 
 台湾(中国)では、陰暦元旦(春節)から15日間は「春慶節」と呼ばれ重要な祭事の一つとして盛大に祝いますが、かつてはわが国の旧正月には漁船に大漁幡を取り付けたり、寒餅(煎餅餅)を搗いりしてそれなりの冬の風物詩のひとつでした。



 太魯湖渓谷
 台北から花蓮までひととび、有名な太魯湖渓谷に行き20キロにもわったてつずく絶景。奇形のつずく太魯湖渓谷の観光に行ってきまいた。両側の狭まる断崖や白く見える山並みや舗道はすべて大理石という渓谷。
 すばらしいの一語でした。

 


 「花蓮側の渓谷入り口」と「案内板」
建造物は、すべて「大理石」製です。

 

 
太魯湖渓谷の花蓮側には原住民「アミ族」の民族舞踊が上演されていました。
 
     


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2009年01月21日

大寒と入院

今年も暦どおり大寒にはいりました。近所の庭の早咲きの黄梅(左)と紅梅(右)の花が綻び始めました(1/20撮)

 


 私は去る1月13日(火)新病院が開院した労災病院に緊急入院しました。1週間の入院ののち大寒の20日(火)に退院できました。
 新病院の病室は4~6階(東、南の6病棟、1病棟50床)にあり、各病室の標示には色を替えたり、花の写真が配されるなどの工夫がなされ、また広い廊下の各所に生花や花の写真などが取り付けられるなどの細かい配慮が施されていました。




 病室からは、周辺のすばらしい展望を眼にすることができました。晴れた日には加太のサニータウンと紀淡海峡の向こうに淡路島が見られ(上左)、紀伊山脈の和歌山側には西高校、中、小学校やゴルフ場などが望見できました。
 また、南側の埋め立て地には住友金属の工場群が一望できました。
 今は、この地区一帯の住宅開発で、かつての田園風景が全く失なわた有様がよくわかりました。
  


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2009年01月09日

小 寒

          
 大寒に入りも近いきょう、庭の白梅の蕾がふくらみ、丸く色づいてきました。80~100年近い古木と思いますが、毎年寒いこの時期に咲きはじめます。
 立春ごろには咲き揃うでしょう。



          
     今年また 生きる証の 年賀状
いただいた年賀状の整理もやっとおわりました。クラスメートや知人からの賀状が大分少なくなりましたが、かわって元気な子供達を撮ったデジカメ写真が多くなりました。




          
 今頃、庭は寂しくなる中で、1ヶ月程前から「アロエ」に花が咲いています。アフリカ原産のアロエはものすごい繁殖をします。
 20数年位前に、亡母がどこからかもらってきて薬用としていましたが、毎年切込んでも直ぐ大きくなります。
  


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2009年01月03日

正月スポーツ(関西勢の活躍)

 「ガンバ大阪」 が元旦サッカー優勝
 「ガンバ大阪」は、第88回天皇杯全日本選手権決勝(1日・国立)で「柏レイソル」と対戦し延長戦で1-0で勝ち、同チームの前身の「松下電器」時代の第70回大会以来、18年ぶりの優勝を果たした。



ライスボウル」や「箱根駅伝
 アメリカンフットボール日本選手権「ライスボール」(3日・東京ドームで)で学生王者の「立命館」が17ー13の大接戦で、社会人王者の「パナソニック電工」(旧松下電工)を破り5年ぶり日本一にかがやいた。

  また、新年恒例の「第85回東京箱根間往復大学駅伝」で、東洋大が初Vを飾りました。



健闘した「近大和歌山」
第87全国高校サッカー第3回戦で「近大和歌山高校」が兵庫県代表「滝川第2」と対戦(3日・さいたま)し、後半に3点を入れられて敗れ昨年につづいて「ベスト8」進出がなりませんでした
近大チームのGKが私達の遠縁になりTV中継で声援していましたが、その善戦が讃えられます。
   


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2009年01月01日

賀正

       
           
  
    新年おめでとうございます

私は大正14年(1925)この家が新築された時に、信州の善光寺近くに住まわれていた友人から当家にお祝いに贈られ、84年間床間に鎮座しています。
 
 鋳銅製の私の重さ約4㌔、今年はこの家に来て「8回目の当り年」になりました。今後もこの家の「福牛」として大切に扱われるでしょう。
  


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2008年12月22日

晩秋(スポーツの秋)

 冬至(21日)は昼が一年中で一番短く、夜が長くなるニ十四節気のひとつで、この日から寒くなるというに今年は時期はずれの陽気になりました。
 現在は季節に関係なく手に入れることができる野菜の代表の「かぼちゃ」と「ゆず」ですが、昔はこの日に「かぼちゃ」を食べて金運を祈り、「ゆず湯」にはいり無病息災を願う行事が各家庭で行われていました。



  冬至(柚子)
   
 今年も近所から冬至に欠かせない「柚子」を頂き、早速「柚子湯」にはいりました。

「柚子湯」にはいると、冷え性やリューマチにも効き、体が温まり、かぜにもよいといわれ、毎年「ゆず湯」をいただいています。


 
 21日、恒例の全国高校駅伝が都大路に繰り広げられ、男子は佐久長聖(長野)が、女子は豊川(愛知)がともに初優勝をかざりました。
 (知人の息子さんが和北高の選手で走りました。)


甲子園ボウル」 
  アメリカンフットボール・学生王者決定戦(甲子園ボウル)が21日大阪長居スタジアムで行われました。
改修中の甲子園にかわり、昨年に続き今年も長居でおこなわれましたが、立命(関西代表)が法政(関東代表)を19-8で破り、4年ぶりに優勝し、来年1月3日の日本選手権(ライスボウル 東京ドーム)で社会人王者のパナソニック電工と日本一の座を争う。
 (立命には甥がアメフト部に在籍していたことがあり、この日の試合にも行ってました。)



 
 「ガンバ大阪」世界3位
「サッカー・トヨタ・クラブワールドカップ(W杯)三位決定戦でG大阪がパチューカ(メキシコ)に1-0で競り勝ちました。
18日の「マンU」(イギリス)との準決勝戦で5-3と敗れた「G大阪」ですが、その健闘ぶりは賞賛される。  


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2008年12月16日

雑感(サッカー)

 毎年この時期になるとサッカーはじめ各種ウインタースポーツが花盛り。私は「元旦サッカー」や「高校サッカー」などまた「アメフト(甲子園ボウル)」などのTV観戦で過ごすことにしています。  

       
 「ガンバ大阪」頑張る
 12月14日、FIFA 公式戦トヨタ・カップ・W・C杯準々決勝戦(豊田スタジアム)で「ガンバ大阪」がオーストラリアのアデレード戦に勝ち、18日に欧州代表の「マンチェスター・U」とた対戦することになった。(写真はCKで攻めるガンバ・TVより)

 「サッカー」は手以外は体のどこを使ってもよい競技。ルールも「オフサイド」のほかは至って簡単。現在、巷間につかわれている「イエローカード」「レッドカード」に代表される反則行為や暴力行為などはよく分かるし、どんな場合も審判の判定は絶対的。

 サッカーの歴史はきわめて歴史が古く世界で最も人気のスポーツであるが、わが国では1990年代にプロサッカー(Jリーグ)が組織されて以来急速にサッカー熱が普及し、いまや女子サッカーチームが誕生するなど、また競技人口のはか「サポーター」とよばれるファンも多く、昔を知るものにとり隔世の感がする。 


  「思い出の一枚
 中学3年の夏休みに親友に誘われて当時「蹴球部」に入部したのが私と「サッカー」の出合い。
その頃の「サッカー」は「ア式蹴球」(association football)と呼ばれており、,競技人口も県下で僅か10校足らずが部組織を持つに過ぎす、一般には単なるボール蹴りの集団としてしか知られていなっかた。

 当時、和歌山の野球は全国優勝をするなどして野球王国として有名であった(サッカーは神戸大阪がトップクラス)がサッカーはその存在さえも知られていなかった。
 
 歴史的に当時の各府県とも師範学校が強かったようだが、こんななか昭和16年秋の県下の大会で和歌山師範と県下の優勝戦が行われたものだ。
 日時は不確かだが和歌山師範校庭で同校との間で行われたが、僅かに帰省していた先輩が2~3人が見に来ていた程度で一般観客(応援)は全くゼロ。
 
 この試合前半1点をリードされたハーフタイム時に先輩に「貴様ら眠っているのか!」と全員1発ずつ見舞われた結果か後半に4点を入れて逆転勝ちし優勝したのを覚えている。
 (写真は翌17年1月卒業時の部の記念撮影で賞状や優勝杯を持った数少ない思い出の1枚です。)



  運動会のいとこま
 写真は、昭和16年10月に行われた体育大会に、各運動部対抗の百足競走の示威行進のときのスナップ(メモ書より)。
各部が試合時の姿(相撲部はふんどし、剣道は防具を付けるなど)で出場。蹴球部の後は水泳部です。
 この写真のバックには、今でも残るスタンドが見られます。当時は鉄条網が張られていたが誰かが時々切り、通学時の近道などの利用されていたようだ。


 【アルテリー ボ和歌山】と【紀州レンジャーズ】が発足
 新聞等の報道によると、来期から和歌山にも J リーグ入りを目指してクラブチーム「アルデリーボ」が、4月に開幕するプロ野球・関西独立リーグに参入する予定の「紀州レンジャーズ」がそれぞれ決成されて、地域おこしの決め手として活躍が期待されています。みんなで応援しましょう。


  


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2008年12月07日

12月8日(雑感)


 「三社詣で」(日前宮・竈山神社・伊太木曾神社) 
 今年も12月8日がめぐってきました。67年前のこの日は、わが国の運命を大きく変えた日米開戦の日でした。
当時、私は中学5年に在学していたが、真珠湾攻撃をの数日後、全校生徒がゲートル(巻脚絆)、背嚢をつげ重い村田銃を肩に「三社詣で」に行ったのが昨日のように思い出されます。日時の記憶が不確かですが、粉雪がちらつく中の行軍ではなかったかとおもいます。

 この時期になるといろいろな回顧記事が新聞などに出ますが、「鉄鋼生産量は日本の10倍、原油生産量は740倍の国を向こうにまわしての開戦であった」(読売編集手帳より)という。まさに質量ともに格差のある国を向こうに無謀な戦。竹やり精神だけで勝てる神国に、その後戦後の経済復興はできたものの、自虐の歴史感は今だしの感が残るこの頃だ。




映画 「ハワイマレー沖海戦
 真珠湾攻撃から満1年後、戦意昂揚の目的で映画「ハワイマレー沖開戦が製作(東宝)されて上映され日本人のすべてが見たといわれたわが国初の特撮映画(ミニチュアーモデルにによる)がありました。
 
この名作が公開された時期は、すでに「ミッドウエー開戦」での日本の敗戦を機に戦局が大きく変わっていたのは、本当に歴史的皮肉だったといわれている。  (同映画のスティール写真より)




 
    「努力!天は自ら助くるものを助く」
 母校の和中(現桐蔭)図書館前に、先輩の野村海軍大将筆になる「箴言碑」(しんげん 格言)が今も建つている。(昭和8年建立) 
  この碑に示された「自助の精神」は現在も校訓として後輩諸君に受け継がれていることでしょう。

 <メモ>海軍軍人で外交官、政治家として活躍された野村大将は、日米開戦時の駐米特命全権大使として日米交渉にあったたが開戦を回避できず、戦後は日本復興に全力を尽くし、参議院議員などもつとめた。
 
 <思い出> よく私達の学生時代は、軍国主義の教育時代に育てられたといわれた不幸な時代といわれる。確か大戦突入後は軍事教育は強められたが、私達の時代は他校に比し自由色の残る時代で、先生方にも自由主義的な方や個性豊かな方が多かったと思う。  


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2008年11月30日

移転(労災病院)

 移転する労災病院
 かねて県道西脇山口線沿い(市内木の本93-1 アメニティ古屋跡)に建設中であった新しい病院が完成し来年1月13日(火)に開院し移転する旨の掲示がありました、(昨29日に撮ってきました。)
 
 写真のようにゆったりとした感じの新病院は、広い駐車場には植樹がいっぱい。
 現在より交通アクセスが便利になり、かつ一般病棟は4人床だそうで入院生活が快適に送れるようです、




 晩 秋 
 現在の労災病院前の菊もまもなくおわり、またクリスマスツリーが飾られています。




 気がつくといつの間にか庭の「山茶花」と「極楽鳥花」が咲きはじめ、冬の到来を告げています。












  


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